2000年12月24日:記
 
 2000年の春3月、仕事で韓国に行き、板門店(panmunjom)を見学した。
 
 実は、前年3月にもその計画はあった。ところが、現地で前日になって、中止になった。理由は、韓国最大の財閥「現代」の会長が牛を連れて北朝鮮を訪問して、明日帰ってくるので、板門店は一般人の立入は禁止になったというのである。そりゃないだろ?こっちは、一年前から、いろいろ勉強して、見学を楽しみにしてきたのだ。「現代」の会長の通行を邪魔するわけじゃないんだから、行かせてくれよとお願いしたが、むろん、ダメであった。
 
 替わりに、「第三トンネル」という、北朝鮮がソウル侵攻のために秘かに掘ったのだが、途中で韓国側に発見されたという場所に案内された。前説は、おどろおどろしくって、ワクワクさせるのだが、入ってみると、ただの狭くて長いトンネルで、頭を天井にぶつけないようにかがみながら、湿っぽい暗いトンネルを黙々と歩いていくと、突き当たりに鉄格子があって、その前に少年のように若いアメリカ兵が、一人緊張感なく、ぽつんと立っていた。鉄格子の向こうは、闇で、銃を構えた北朝鮮兵が見えるわけでもない。「な〜んだ、これだけ?!」ってなもんである。こういうものでも、観光資源にしちゃうんだから、もう少し、演出しろよとか、不謹慎な不満を抱きながら帰ったものである。
 
 今回も出かける少し前には、米韓軍事演習の都合で、板門店は閉鎖されていて、またも第三トンネル行きかという話であった。ところが、まさに出かける直前に閉鎖が解除された。そういうわけで、2年越しの板門店見学が、今年の3月、実現した。南北対立の象徴である板門店だから、そこを見学するというのは、厳しい条件の下に政府の許可を取ってとか考えるのが普通でしょ?ところがどっこい、「板門店ツアー」というのは、なんと外国人向けの観光バスツアーになっていて、ホテルのフロントには、募集チラシまで置いてある。但し、韓国の一般国民はダメとか、そこに乗り入れる観光会社は政府から許可された二社だけとか、規制はあるようだが、パスポートを持っている観光の外国人なら誰でも行けるツアーである。
 
 ソウルのホテルから、板門店ツアー専用のバスに乗り、北に向かう。市街をはずれると、南北を分けて流れるイムジン川に沿って北上する。道路と河川敷の境には、電流の流れる鉄条網の鉄柵が張り巡らされ、等間隔に置かれた監視塔が、南北に対峙するこの国の厳しい現実を否応なく感じさせる。でも、初めて訪れた1997年3月に比べたら、監視塔周辺に待機する兵士の数は、ずっと少なく、時には、監視兵の立っていない無人の監視塔があったりして、南北の緊張がゆるんでいることを伺わせる。
 
 バスは、非武装地帯に入る前の大きな橋のたもとで停止させられた。警備のアメリカ兵と思われる国連軍兵士が、機関銃を肩から下げたまま、バスに乗り込んでくる。無表情な兵士の顔で、前の座席からパスポートを一人一人チェックしていたが、三列目くらいまで行って、ガイドに英語で何か指示した。ガイドが、「皆さん、パスポートの写真のところを開いて、見えるように高く上げて下さい」と言った。みんなは、言われたとおり、パスポートを兵士に見えるように高く掲げた。兵士は、ゆっくりとパスポートと客の顔を見比べながら、バスの中央まで行って、そこで、もう一度バス全体を無表情に見回した後、前に戻ってきて、振り向くと「サンキュー!」と短く敬礼して、降りていった。ウォーッ!と、なんだか一気に緊張が解けて、「スッゲー!」とか、「カッコイー!」とか、同行の日本の若者は、感嘆の声を上げた。機関銃を下げた兵士に身分証明書をチェックされるなんて経験は、平和な日本では、あり得ないことだから、それだけで同行の若者達は、感動してしまっていた。
 
 橋を渡って、荒涼とした非武装地帯に入っていく。道路の両脇の荒れ地の所々に赤い地に髑髏マークの付いた旗が下げてある。地雷原の表示である。「コエー!」と同行の若者達が叫んでいる。やがて、非武装地帯の国連軍駐屯基地であるキャンプ・ボニファスにバスは到着した。
   
 基地のボーリンガー・ホールで、朝鮮戦争や休戦協定など板門店の歴史や意義の説明を受ける。この基地の名前は、1976年8月に起きたポプラ事件で、北朝鮮側に殺害されたアメリカ軍のボニファス大尉から来ているそうだ。また、この基地にあるゴルフ場は、OBを出すと地雷原に飛び込むので、「世界一危険なゴルフ場」と呼ばれるそうだ。そして、「訪問者(見学者)宣言書」なる日本語で書かれた1枚の文書が全員に配布された。板門店見学上の注意事項が様々に書いてあるのだが、その前文が凄い。
 
「・・・・。敵の行動によっては、危害を受ける又は死亡する可能性があります。・・・・・・。また、事変・事件を予期することはできませんので、国連軍、アメリカ合衆国及び大韓民国は訪問者の安全を保障することはできませんし、敵の行う行動に対し、責任を負うことはできません。」
 
 「ウソだろう?!」と思いながら、全員は、その文書に署名し、また、バスに乗って、いよいよ北緯38度線の休戦ラインに向かう。南北が対峙する最前線だから、戦場のような荒涼としたところとイメージしていたのだが、バスを降りたところは、実にきれいに整備された公園のような場所の中心にあるガラス張りの立派な近代建築の前である。戦場にガラス張りはないだろう? 中に入ると、3階分くらいの長いエスカレーターが2基付いている。後で「個人旅行」で知ったのだが、この建物は「自由の家」と呼ばれて、観光客用の展望台として建築されたそうだ。
 
 
 
 この建物のエスカレーターで、3階くらい上がったところが、展望台になっている。そこから、真正面に、北朝鮮の、やはり立派な建物が見える。これは北朝鮮が建てた展望台「板門閣」だそうだ。建物の正面に、たった一人の兵士が直立不動で立っている。視線を右の方に回していくと、兵士の詰め所みたいなものがあって、3人ほどの北朝鮮兵士がのんびりと談笑している。
    
 両国の威信を示すように対峙している大きな建物に挟まれて、鮮やかな青ペンキで塗られた小さな平屋建ての建物が、停戦会議場である。
 
 この会議場の建物に半身を隠して、北朝鮮側に向かって、一種のファイティング・ポーズのような格好で、固まっている兵士がいる。実質的な軍事的意味はないと思われるので、一種の儀礼のようなものだろうが、微動だにしないその固まり方が異様で、ここが平和な日常ではないことを感じさせる。
    
 この3棟ある青い建物の真ん中が、停戦会議を行った中央会議場で、この部屋の真ん中に大きな会議テーブルがあり、このテーブルを二分するようにマイクのコードが張られているのだが、これがすなわち北緯38度の休戦ラインを現すのだそうだ。現在も、定期的に、韓国と北朝鮮との軍事代表者が会談する。この部屋の会議テーブルが、韓国と北朝鮮が直接顔を合わせて話し合うきわめて重要な地点である。この部屋の中でのみ、観光客もテーブルの向こう側に行くことで、休戦ラインを超えることができる。「ワァー! 北朝鮮に入っちゃった!」と、同行の若者達が、はしゃいで、写真を撮っていた。この室内にも、ファイティング・ポーズの兵士が、微動だにせず、立っている。恐る恐る隣りに立って、大丈夫らしいと、仲間に写真を撮ってもらう勇気ある者もいて、その内に兵士の周りは、記念写真場になってしまった。
    
 
 会議場の見学が終わって、また、バスに乗って、キャンプ・ボニファスに戻った。そこにはお土産屋があって、様々な「板門店グッズ」が売られていた。中でも、驚いたのは、鉄条網の切れ端が、A4サイズくらいの額に入れてある飾り物である。南北を隔てる休戦ラインに張られていた鉄条網だそうだ。同行の若者が、嬉しそうに買っていた。私も、キーホルダーを二つ買った。朝鮮戦争、米ソ対立、冷戦、民族分断、イデオロギー対立など、20世紀後半を代表する世界の悲劇を観光資源にするなんて、胡散臭いと思っていたが、板門店が観光地になることは、それはそれで悪いことでもないか。とにかく、敵も不測の行動を起こすことなく、無事に非武装地帯から帰ることができた。
 
 それからしばらくして、韓国・金大統領と北朝鮮・金総書記の画期的な会談が行われた。異論もあったようだが、韓国・金大統領にノーベル平和賞が授与された。20世紀の最後に、20世紀後半のアジアの課題が解決に向かい始めたことを喜びたい。
                          (2000年12月24日:記)