8月29日(火)[第8日目]
 ロンドンでは、軽食堂のウエイトレスや、スーパーのレジ係や、バスの車掌や、ホテルやレストランで床を拭いている人などは、ほとんど、アフリカやアラブやアジアの有色人種の人々である。この人々が、同じ有色人種の日本人の我々に対して、とても愛想が悪く、不親切である。別に日本人に限ってということでもないのだろうが、サンドウィッチ一つ買うのにも英語に不自由する我々には、とても冷たく見える。そういえば、コッツウォルズや湖水地方では、ほとんどというか、まったくと言っていいほど有色の人々は見なかった。たぶん、田舎では、白人社会に有色人種は、入り込めないのだろう。ロンドンの有色の人達よりも、コッツウォルズや湖水地方の白人達は、優しく親切だったと感じるのは、決してワタシ達の偏見ではなく、イギリスの階級社会の実相を現しているのかもしれない。
 
 そろそろこの旅も終わりに近づいてきた。一通り見るべきものは見たので、今日は、のんびり買い物でもしようという余裕の一日である。9時頃、ホテルを出て、もう歩くのも疲れたので、ロンド名物の市内観光バスに乗ることにした。ムスコが2階建てバスをエラク気に入っているせいもある。湖水地方で乗ったのと同じように、2階がオープンになっている観光バスに乗る。この観光バスは、ロンドン市内の見所・観光場所を結んで循環しており、しかも5〜6系統になっていて、途中のバス・ストップで系統を乗り換えることもできる。1日フリーパスで10ポンドほどである。
 
 この観光バスが優れものなのは、英仏独伊蘭西伯日の8カ国語のイヤホンガイドが付いているところである。座席の脇にあるジャックに、乗車時に配布されるイヤホンを差し込んで、国旗のダイヤルを合わせると、バスがまさに通行している場所の観光案内が自国語で流れる。これはグッドである。2階席はいっぱいで、隣りに座った白髪の白人の品のいい老婦人が、「ソーリー、・・・・?」と、イヤホンジャックを、ワタシに渡した。「OK、・・・」とワタシがイギリスの国旗に合わせると、「オーノー、アイム・フロム・オーストリー!」「オー、イクス・キューズ・ミー、・・・ジャーマニー?」「オー・サンキュウ!」「アイム・フロム・ジャパン。ゼイ・アー・マイ・ファミリー」「オー、ベリー・ナイス」。NOVAの成果は、この程度である。
 
 観光バスは、バッキンガム宮殿・ウエストミンスター寺院・国会議事堂・ビッグベン・トラファルガー広場など、すでに昨日歩いて回ったコースを、イヤホンガイドの説明で、新しい知識も仕入れながらたどっていく。昨日行かなかったところでは、英国国教会の総本山で、1981年にチャールズ皇太子と、その後不慮の事故で亡くなられたダイアナ妃が結婚式をあげたセント・ポール大聖堂、1894年に造られたテムズ川にかかる跳ね橋、ロンドンのシンボルの一つであるタワー・ブリッジ、英国王室の華麗なる歴史の陰で、陰謀・暗殺・処刑などの数々の悲劇の舞台となったロンドン塔などを、バスの2階から見ていく。どれも内部も素晴らしい見学場所らしいが、さすがにもう疲れて、イヤホンガイドで十分である。
 
 お昼を食べて午後は、買い物タイム。まずは、お目当てのバーバリー本店。個人旅行の地図がいいかげんで、なかなか見つからなくて、歩き疲れているツマや子どもたちのブーイングの中、執念でやっと見つけた。次は、将来雑貨屋を目指すムスメの希望で、ストリート・マーケットのコヴェント・ガーデン。大道芸人があちこちで人の群を作り、小さな露店がひしめき合っている。Tシャツ・セーター・バッグ・アクセサリーなど、手作りの品なども、可愛く並んでいて、ブラブラしているだけで楽しい。夕方になって、親戚や職場関係など、多少お土産も買わなければならないが、ここではちょっと適当な物がないので、ピカデリー・サーカスに戻って、ロンドン三越に行った。やっぱり、まともな物を買うには、日本のデパートが信用できる。日本語も通じるし、店員の応対も、さすがに日本のデパートである。
 
 「最後の夜は、イギリスらしいステーキでも食べるか」と、ちょっと張り込んでもいい気持ちで、洒落たレストランを探して歩いた。「よしっ!このくらいならいいか!」と、気合いを入れてドアを押して、ウエイターに案内されてテーブルに着いて、メニューをしげしげと見て、「アレッ!インディア・キャリー?・・・インド料理の店?」。よく見れば、ウエイターも、インドの方とおぼしき風情。「オー、ロンドン最後の夜は、カレーかよ!」。まあ、インドも大英帝国の一員だから、いいか! あとで旅行書を読むと、やはり、イギリス人はインド料理が好きで、店も多いそうだ。日本で、ちゃんとしたインド料理の店に入った覚えもないので、いい経験と、ロンドン最後の夜は、インド料理を楽しんだ。