8月31日(木)[第10日目]
 8月30日(水)午前11時50分に、ロンドン・ヒースロー空港を飛び立ったヴァージン・アトランティック航空VS900便は、時差8時間を飛び越えて、31日(金)午前9時に東京・成田空港に到着する。実時間約13時間。往きに経験したとはいえ、エコノミークラスの13時間はキツイ。身動きのできない拷問椅子に座らされているようなものである。そこへいくと、最近のJR新幹線の普通席の座席は、膝前がゆったり広くて快適である。飛行機会社も、そろそろエコノミークラスの改善を考える時期ではなかろうか。
 
 ムスコは、相変わらず、ゲームに熱中している。ムスメは、相変わらず、マンガに熱中している。ワタシとツマは、映画を見たり、居眠りしたり、ヒマを持て余している。最近、歳取って、仕事関係の本以外、とんと本を読まなくなったが、こういうときは、面白い推理小説かなんかを持ち込むべきであった。
 
 初めて海外へ出たのは、1997年3月、53歳の時に、職場の団体旅行についていった韓国だった。これは添乗員・ガイド付きの団体旅行なのでどうということはなかった。それから1998年5月に、仕事関係で、台湾に呼ばれた。公式行事には通訳が付いていて、仕事の上では日本語で事足りたのだが、移動中のバスや、ホテルでのプライベートや、中でも歓迎レセプションでは、まったく英語ができずに往生した。ジャパニーズ・スマイル一本で通した一週間は、かなり辛いものだった。成田の入国ゲートをくぐったときは、涙が出るほど嬉しかったのを覚えている。
 
 学生時代の英語の勉強は、入学試験を通るためと、卒業の単位を取るためだけのものだったから、英会話など自分には無縁なものとしてきた。職場にも、アメリカ人の職員がいるのだが、廊下ですれ違うときは、目をそらして、話しかけられないようにしていた。そんなワタシだったが、台湾での苦い経験と、その年の秋に、仕事関係で海外旅行をすることになっていたので、ついに英会話をなんとかしなければならないと思い始めた。6月の末に、思い切ってNOVAに入学した。週に二日ほど、仕事が終わってから、夜6:40〜8:10までの2コマ(NOVAの一コマは40分)ずつ、結構足繁く通った。初めは簡単な挨拶からだから、進歩も見えて楽しかった。
 
 仕事関係で、1998年11月、全行程25日の、カナダ→スペイン→イタリア→フランスを主な訪問国とする団体旅行に参加した。添乗員・ガイド付きで、公式行事は通訳付きだから、仕事の上では困ることはないのだが、台湾と同じでプライベートや歓迎レセプションでは、個人の力量で対応しなければならない。さすがにNOVAで4ヶ月、外国人講師と親しく話した成果で、外人を見ても目をそらさないだけの度胸はできていた。メチャメチャの単語並べ英会話で、結構楽しくやった。この長旅は、それまでワタシの中で薄かった世界への関心を高めさせる画期的なものとなった。
 
 その年の冬、家族で初めての海外旅行として、夏のオーストラリアに行った。ゴールドコーストとシドニーが目的地のパック・ツアーに入った。移動地点には、旅行社の係員が待っていて、世話をしてくれる。観光も拠点毎にオプションが組まれていて、日本語の通じるオーストラリア人が案内してくれる。1回目の家族海外旅行としては、無難であった。今年のオリンピックは、2年前の旅行で見た風景を懐かしんだ。
 
 NOVAは、3年分の学費を前払いしたが、1年半を過ぎたところで辞めた。NOVAは、自由登校制だから、まだ学生の権利は有しているのだが、勝手に自主退学した。まあ、自分としては、忙しい仕事の合間に、1年半もよく通ったと満足している。NOVAの学費は、長期契約すれば単価は安く、短期契約では単価は高いというようになっているので、1年半の契約をしたと思えば、それほど大きな損失でもない。NOVAのクラス分けは、9段階あるのだが、最下級から始めて、3段階上がった。初級の上といったところだ。ここまでは、簡単な日常会話程度だから、楽しく進むのだが、中級に進むには、多少自主的に勉強しなければならない。ところが、仕事をたくさん抱えていると、とても自主的に勉強するどころではない。エライ人は、そこで頑張るのだろうが、若い頃から熱しやすく冷めやすい、もう一頑張りのできない人であったので、このくらいがいいところだろう。少なくも、外人から目をそらさなくなっただけでも、NOVAの成果としよう。
 
 さて、VS900便は、順調な飛行を続けて、31日(木)午前9時より少し前に、成田空港に無事着陸した。民間駐車場に電話をして、車を受け取って、自宅への帰路に就いた。安心してぐっすりと眠り込んだ家族の寝息を聞きながら、ハンドルを握るワタシは、久しぶりに見る東京の景色に、「やっぱり、日本はいいな・・・」とつぶやいた。