韓国・独立記念館・見学記
  
 別のページ「春のソウル班別自主研修」で報告したように、2001年3月13日(火)から17日(土)まで4泊5日で、本校2年次生の校外学習(修学旅行)引率で、4回目の韓国ソウルを訪れた。

 その中で、行程2日目の3月14日(水)午後に、本校として初めて、「独立記念館」を訪れた。今まで過去3回の韓国校外学習で、ここを訪れなかったのは、ここがソウルの中心からはバスで2時間ほどもかかる遠いところにあって、これまでの3泊4日の行程では時間的・地理的に無理であったということで、できれば是非入れたい見学地であった。今回は、4泊5日と行程を1日長くしたので、ここを初めて見学地に入れることができた。行程の条件が許せば、韓国校外学習には欠かせない重要な見学地である。

 ソウルからバスで高速道路を2時間ほど南に走って、忠清南道天安市の郊外に「独立記念館」はある。パンフレットや館内で買った日本語の案内書によると、同館は、1982年から建設資金を全国民からの募金活動で集め始め、5年間の建設工事の末に、解放以来の民族の宿願事業として、1987年8月15日に開館した。8月15日に開館したというところにも、我々日本人には、すでにズキンと来るものがある。121万坪の大地に、壮大な記念碑や大会堂や展示館が並び、韓国が国威を賭けて作ったことを伺わせる。

 まず、ゲートを入ると、目の前に「キョレー(民族)の塔」がある。鳥が翼を立てた形になっている。これを過ぎると正面に「キョレー(民族)の家」という大会堂がある。ガイドさんの話では、この大会堂で、大統領が主催して、独立記念式典をやるそうだ。さしずめ日本で言えば、広島の平和記念公園のようなものであろう。



 巨大な「キョレーの家」でガイドさんの説明を聞いて、さらにその裏に入っていくと、第1から第7までの展示館が並んでいる。



 左の写真が、第3展示館の「日帝侵略館」、右の写真は第4展示館の「3・1運動館」である。「日帝侵略館」は、1870年代の初めから始まる日本の韓国侵略の歴史を、1910年の日韓併合から1945年の日本の敗戦による韓国の植民地からの解放までを中心に展示している。「3・1運動館」は、1919年3月1日に蜂起した抗日独立の万歳示威運動の軌跡と、これに対する日帝の弾圧を展示している。館内は、写真撮影禁止なので、館内の展示については、館内で売っていた案内書の写真を転載させていただく。この案内書も、国内のものなら無断転載は著作権法に触れるであろうが、私のホームページの意図は、韓国政府及び韓国国民の利益に反するものではないと思うので、あえて転載をさせていただく。そもそも、館内の展示物は、芸術作品のような作者の著作権を主張する類の展示物ではないので、写真撮影を禁止すること自体が理解できない。むしろ、国家的宣伝のための展示なのだから、日本人に写真撮影させた方が韓国の利益になると思うのだが、もしかしたら日本を刺激しないように気を使っているのだろうか。日本の社会科の教師としては、撮影したいような展示物がたくさんあったのだが、こちらは生徒を引率している身なので、我慢して同館の規則に従わざるを得なかった。日本人にたくさん見せて、どんどん写真撮影させてやった方が、同館の開設目的にも合致すると思うのだが、いかがであろうか。

日本軍用鉄道を破壊した義兵を処刑している日本軍  1904年9月21日
(実物写真展示)
米国の新聞に報道された日本軍の韓国人虐殺場面
(New York American,1922.8.26付)
(実物写真展示)
万歳示威者の銃殺場面  1919
(実物写真展示)
「拷問体験の場」
日帝が1936年、西大門警察署を新築する時、主に独立闘士達を拷問する目的で高等係の取調室に設置したもので、日帝の残虐さを見せる代表的な拷問道具である。
この壁棺は、一人が入って立つと動けないほど狭く、2、3日監禁されると全身が麻痺する。縦横20pの小さい窓があって、ここを通して尋問できるようになっていて、壁棺の内部には電気拷問器具まで設置されていたという。
(再現模型・見学者が自分の身体を入れて、身動きできない状態を体験できるようになっている)
「日帝の愛国志士の拷問場面」
(ここから3枚の写真は実物の写真ではない。上の拷問体験室の後ろ側に、長い覗き窓があって、そこから覗くと、中に、この写真のような人形の模型で拷問シーンが再現してある)
これらの模型は、生存者の証言と「韓国通史」「韓国独立運動志血史」など歴史資料を根拠として再現したものであると説明している。
それぞれの模型には「×××志士の拷問場面」と説明があって、史実として再現している。

 これ以外にも、「創氏改名」「皇民教育」「従軍慰安婦」「朝鮮人強制連行」など、日本の武力侵略と植民地支配の歴史を生々しく証言する資料がたくさん展示してある。我々は加害者側であるにもかかわらず、これらの展示からは、胸がムカムカする嫌悪感を感じざるを得ない。二度と、わが国を、武力を持って他国を侵略し、他民族を武力支配する国家にしてはならないと強く思う。拷問場面の説明の文中に「我々(韓国人)は、日本を許そうと思う。しかし、このような歴史があったことを決して忘れてはならない」と記されてあった。我々(日本人)も、加害者であったという事実を忘れてはならない。二度と過ちを繰り返さないために。

 植民地支配や武力侵略を正当化できる思想は、現代にはまったく存在しない。限りある地球環境を守り、少しでも長く人類が生き延びていくためには、国家や民族の違いを超えて共存する以外に道はない。戦争や紛争は、最大の環境破壊であり、人類の滅びを早めるだけである。現代の人類には平和に共生する以外に選択肢はない。そのためには、我々はまず、隣国の韓国と仲良くしなければならない。韓国とは簡単には仲良くできない過去の経緯がある。過去の経緯は、突き詰めれば日本が加害者で、韓国が被害者であるという厳然とした事実である。この事実から目をそらして、仲良くしようと言ったところで、それは無理である。不当に他国を侵略し、残虐に他民族を武力支配した過去を謝罪して、二度とそのような政策は取らないことを約束してこそ、関係は改善されていく。日韓関係改善の責任は、ほとんど日本側にある。

 今回の校外学習の5日間、私が同乗したバスの生徒達に日本語ガイドをしてくれたキムさん(女性)は、ソウルの大学の日本語学科で学んだ知的で情熱的な素晴らしいガイドだった。実は、5年前に、初めて来たときも、キムさんのガイドするバスに乗っている。5年前のガイドに成り立ての頃のキムさんは、寝ている生徒を叩き起こしても聞かせるパワフルなガイドだった。北朝鮮の見える展望台で、「韓国は、戦争を休んでいる国です。いつでも戦争は始まるのです!」と絶叫するキムさんの緊張感ある説明に、南北対立の厳しい現実を実感させられた。5年後に会ったキムさんは、太陽政策のせいか、それとも5年の歳月が彼女の情熱を削いだのか、生徒が聞いていようが聞いていまいがお構いなくノルマの説明をしていく、ちょっと手慣れたプロの仕事のガイドさんになっていて、私は、なんだか5年前のキムさんが懐かしかった。

 しかし、キムさんは、今回も私を感動させてくれた。最後の日の金浦空港へ向かうバスの中で、生徒達に言った別れの挨拶が忘れられない。「自分達韓国人は、過去の歴史から、日本人を悪く言わざるを得ない。でも、ほんとは日本人に、アジアのイギリス人(世界の歴史をリードしてきたという意味か)であってほしいと思っている。私は、ガイドの仕事で年に何度も日本に行く。行くたびに、日本は素晴らしい国だと思う。韓国は、まだまだ日本には追いつけない。私に言わせれば400年くらい韓国は日本に後れている。でも、日本を追いかけながら韓国人も頑張っている。あなた方は、将来の日本を支える人達です。しっかり勉強して、韓国やアジアの人達が追いかけることの出来る立派な日本を作って下さい。韓国の人達は、ほんとは日本が好きなのです。皆さんが頑張って、私たち韓国人が尊敬できる日本を作って下さい」と言ってくれた。観光地の説明では、おしゃべりしたり、眠っていたりして、ろくに聞いていなかった生徒達も、キムさんの心が感じられる別れの言葉にはシーンとして聞き入って、深く心に染みるものがあったようである。

 3年ほど前に台湾に行ったときも、かなり年輩の台湾の方が、「日本の植民地時代に、台湾は近代化された。日本のおかげで今日の台湾の基礎が築かれた。我々台湾人は、日本を決して恨んではいない」と言っていた。韓国にしても台湾にしても、知識人達は、20世紀の帝国主義の時代に、日本が欧米列強の帝国主義に対抗して、あのような歴史に陥っていかざるをえなかったことを理解している。だからといって、「日本は、欧米列強の侵略からアジアを解放した」とか、「日本の大東亜共栄圏構想は、アジアの後進地域を近代化するためだった」とか、日本の武力侵略と植民地支配を正当化しようとする理屈が、アジアの人々に許されると思っているのだろうか。「日本人としての誇りを持つこと」は、過去の過ちから目をそらして謝罪せず、開き直って正当化することではない。過去の過ちを直視して、率直に謝罪して、二度と不幸な歴史を繰り返さないために、アジアの人々と手を組んで、平和を築くためのリーダーになろうとすることこそ、「日本人の誇りを持つこと」である。

 私は、最近、たまに海外に行くようになって、その度に、日本はイイ国だと愛国者になっていく。韓国や台湾の人と話したわずかな経験でも、日本や日本人は尊敬されている。アジアのリーダーであることを期待されている。世の中で、一番嫌われるヤツって、自分の過ちや失敗を認めようとしないで、他人のせいにするヤツである。そういうヤツは、絶対に尊敬されないし、そういうヤツとは、絶対に一緒に仕事したくない。自分が悪いことをしてしまったときに、「済まない、私が悪かった」と率直に詫びることこそ、日本人が誇りとする潔さであり、勇気である。だから、私たちも、あの時代の過ちは、率直にお詫びして、二度と過ちを繰り返さないと誓って、世界の人々と仲良く生きる道を考えよう。戦争や植民地が、まったく遠い歴史になってしまった時代に生まれた生徒達も、「独立記念館」の見学で、韓国と日本の関係を直視し、真の日韓友好は、どうあるべきなのかを考える優れた体験学習になったのではないかと思う。

                                              2001年3月25日 日曜日 22:54:55 記