告  辞

 本校第57回生・総合学科第9期生の諸君、ご卒業おめでとうございます。

 本日の卒業式に当たり、ご臨席を賜りました工藤典雄筑波大学副学長様、宮ア雅好後援会長様、神山佐市桐蒼会長様、吉田昌男PTA会長様をはじめとするご来賓の方々に厚く御礼を申し上げます。また、卒業生の保護者の皆様へ、お子様達の晴れのご卒業を心よりお祝い申し上げます。

 さて、卒業生諸君、本校で過ごした三年間はいかがでしたか。奇しくも三年前の君達の入学式は、私が本校校長に任命されて最初の儀式でした。緊張した君達と同じように、私も緊張して「入学を許可します」と言ったことを昨日のことのようにおぼえています。式辞では、ルソーの言葉を引用して「高校時代は、大いに悩み苦しみなさい」と言いました。君達は、それぞれに青年期の悩みや苦しみと戦って、今日の晴れの日を迎えたのであります。人生の一つの節目を乗り越えたことを、心からおめでとうと言います。

 ところで、君達がここから出て行く大きな広い社会のことを考えてみましょう。まことに難しい社会です。高度情報化社会と言われるように、情報が氾濫しています。私達はたくさんの情報に接することができます。ところが、何が正しい情報で、何が間違っている情報かはとてもわかりにくい社会です。例えば、アメリカは、テロを仕掛ける独裁政権を倒すことは正義だと言って、イラクを攻撃して占領しましたが、平和なイラクは未だに実現していません。今話題のライブドアとフジテレビの抗争も、マネーゲームを仕掛けて経済倫理に反すると堀江社長を非難する人もいれば、既成の経済秩序に反旗を翻す挑戦者として堀江社長を支持する人も少なくはありません。もっと身近に学校の問題を言うと、ちょっと前には「詰め込み教育」はよくないから「総合的な学習の時間」を取り入れろと言われていたものが、最近は「総合的な学習の時間」はよくないから「学力向上に取り組め」と言われて、私達教員も右往左往する世の中であります。

 18世紀ドイツの哲学者カントは、理性こそ人間の本質であり、理性の声に従って行動できる人間、すなわち自律する人間を人格と呼んで、人間の尊厳を高らかに宣言する壮大な哲学を築いた世界の大思想家であります。彼は、ケーニヒスベルグという生まれた土地で終生の研究生活を過ごしましたが、その真面目な規則正しい生活は町の人々に有名でした。毎日、夕方には、決まった時間に、決まった道順で散歩をしましたが、町の人々はカント先生の散歩に合わせて、当時の狂いやすい時計を調整したと言われるほど、徹底した自己管理の生活を貫いたと伝えられます。そのカントは、道徳、すなわち人間の生き方の基本を次のように言っています。「自分であれ、他人であれ、その人間性を常に目的として取り扱い、決して単に手段として取り扱うことのないように行為せよ」、すなわち、人を踏み台にしたり、利用したり、だましたりしないで、自分も他人も尊いものとして大切にしなさいと言ったのです。

 諸君達の出て行く社会は、何が正しくて、何が間違っているのか、とてもわかりにくい社会です。道に迷うこともたくさんあるでしょう。その時には、カントのこの言葉を思い出して下さい。自分を、そして他人を、つまり人間を大切にしているか、人をだましたり、裏切ったりしていないか、人間最後は、真面目であることです。ださくても、かっこ悪くても、自分なりの哲学を持ち、周りに流されることなく、自分で判断して、自分の正しいと信じる道を歩いて下さい。長い人生、山あり谷ありです。一時の失敗にくじけず、いつも未来に希望を持って、真面目に辛抱強く頑張って下さい。

 終わりに、ここは君達の母校です。ここで過ごした日々は、君達の胸の中にいつまでも生き続けるでしょう。思い出した時は、いつでも戻ってきなさい。母校は、君達を思い出と共に温かく迎えます。希望を持って、勇気を持って、ここを飛び出して行きなさい。本校第57回生・総合学科第9期生の洋々たる未来と健闘を祈念して卒業生への告辞といたします。

    平成17年3月8日

                    筑波大学附属坂戸高等学校長
                                     服部 次郎