「平成19年度長崎県高等学校教育研究会総合学科部会第3回研究大会(7月31日・佐世保市)」の講演講師を頼まれて、7月29日(日)〜8月3日(金)に、初めての長崎県に行ってきました。
<7月29日(日)>
延べ750名ほどの学生の成績を出すために、7月は激務だった。出席数を確認し、課題を評価し、試験を採点し、総合点を計算して、成績評価を付けて、報告書に転記し、教務課に提出する。前期成績を出す7月と、後期成績を出す2月とは、研究日も返上して、場合によっては日曜祭日も返上して、夜8時過ぎまで研究室に閉じこもって、大量の成績処理に追われる。まあ、ふだんはのんびりやっているので、そのときくらいは頑張らねば申し訳ないというものだが。個人的な都合で、成績提出を一週間早めたので、今年は、ほんとに7月は激務だった。それから解放された安堵感もあって、心浮き立つ気持ちで、朝8:30頃家を出た。
最近、遠い旅行は、飛行機を使わずに、寝台特急で行くことにしている。飛行機に乗れないわけではないが、日本中どこに行くにも1、2時間で着いてしまう飛行機は味気ない。忙しい身なら仕方ないが、今は、時間もたっぷりある身なので、ゴトンゴトンと行く列車の旅がいい。
ところが、そんな暇人は少ないらしく寝台列車は、どんどん減っている。東京⇔長崎の寝台列車も数年前に廃止になって、今は、長崎に行く夜行寝台は京都20:02発・あかつきしかない。それなら京都から寝台に乗ってやろう。京都まで「のぞみ」で行くのも芸がない。自宅の後ろを走っている中央本線の「特急あずさ」に乗ってみよう。ということで、立川から乗り込んだ。
9:27発立川→11:46着塩尻(JR特急あずさ9号)
塩尻で乗り換えに3時間。まず、昼食。駅の周りを歩いて、「信州そば」の店に入った。「そば通」は、「ざる」とかの冷たいそばがそば本来の味だと宣うが、私は冷たいそばは味気なくていやだ。夏でも、そばは温かいそばに限る。生ビールと「山菜そば」を食べたが、そばは「つゆ」がいまいちで、感動しなかった。
食後、塩尻市役所の周りを歩いた。市民ホールに今売り出し中の市川春猿などの「松竹歌舞伎」公演がかかっていて、裏方さん達が昼休みで楽屋口周りでのんびり休んでいるくらいが、目を引いたくらいで、なにもないので、駅に帰った。
駅のホームに冷房の効いた待合室がある。ここで文庫本を読んで1時間半ほど列車を待つことにした。旅は、いくら空き時間ができてもよい。空き時間は読書に当てる。無駄な時間はない。と、のんびりしたのが、あとで大変な事態をもたらす。すでに14:52発の指定券を持っていたので、待つことにしたのだが、あとで考えれば、1時間ほど前の特急に振り替えることもできたのだ。
14:52発塩尻→18:36着京都(JR特急ワイドビューしなの16号)
塩尻を出て、中央本線は南アルプスの麓を名古屋に向かって走る。木曽の山の中である。天気は薄日の差す晴れである。なんの不安もなく車窓の景色を楽しんでいると、山の中の特急が止まるはずのない小さな駅で突然列車が止まる。車掌のアナウンスが入る。「南木曾駅付近で大雨のため、運転を見合わせます」。その簡略なアナウンスの意味が初めはのみ込めない。やがて、ここが南木曽駅の一つ手前の駅で、この先が大雨のため、この列車が運転を見合わせて止まっているのだとわかってくる。
この列車が京都に着く予定が18:36で、寝台特急あかつきの発車が20:02。つまり乗り換え時間は、1時間26分。この間に、京都駅で夕食を食べる予定にしてある。この列車が乗り換え時間以上に遅れたら、あかつきに乗り込めない。これは大変なことになった。ああ、塩尻であんなに待たないで、前の特急に乗っていればよかった。いや、台風は、まだ遙か彼方だし、この大雨はすぐにやむだろう。とじりじりしている内にすでに止まって30分は過ぎている。乗り換え時間は、1時間を切った。他の乗客はそれぞれの事情もあるのだろうが、じっと黙って待っている。
やがて、40分くらいたったところで、「大雨はやみましたが、ただいま、線路の安全確認をしておりますので、もうしばらくお待ちください」とアナウンスが入る。なんとか走り出すかと期待するが、そのまま時は過ぎる。止まってから1時間を超える。こりゃあ、ダメだ。今夜は京都に泊まるようだ。明日の新幹線で佐世保に行こう。京都駅の近くのビジネスホテルを探そう。最近新調したケータイを操作して、会員登録してある「楽天トラベル」でホテルの空室チェックをする。京都駅に着いたら、まず、緑の窓口で、切符の変更をしよう。ダイヤの乱れだから、手数料なしに変更してくれるだろう。とか、危機管理の要領で頭をめぐらせている。人間の能力は、危機に際しての対応能力で計ることができるという持論を自分に適用している。
やがてアナウンスが入り、「ただいま線路の安全確認が終わりましたので、運転を再開いたします。当列車は、1時間12分遅れで運転いたします」。あかつきとの差は、14分。このまま行けば、なんとかなる。よし、10分くらいあれば、ホームで飲み物と駅弁を買うこともできるだろう。と、とたんに甘い予想に変更する。
山間部を抜けて、平野部にはいると、特急らしい走りになってきて、駅を出るたびにアナウンスされる遅れ時間も1時間と12〜15分くらいで落ち着いてくる。なんとか乗り換え時間、10分は確保されそうだ。名古屋を過ぎ、岐阜を過ぎ、関ヶ原のあたりを通って、米原を出て、「次は、京都に止まります。この列車は、米原を1時間12分遅れで発車しましたので、このまま走りますと、京都には19:50分前後に到着できるかと思います」と、それまで不確かな情報しか発信しなかった車掌が、めずらしく到着予想時間を交えてのアナウンスをした。もう、大丈夫だろう。なんとかあかつきに乗れると安心した。
快調に走っていた列車が19:20分頃になって、スピードが緩くなり、のろのろとしばらく走って、暗い中で停車した。アナウンスが入った。「本日神戸駅にて人身事故が発生し、近畿地区のダイヤが乱れております。そのための赤信号で停車しております。しばらくお待ちください」。ありゃあ、今度こそダメか。乗り換え時間は、10分しかない。赤信号で停車したら10分くらいすぐに使ってしまう。こりゃあ、やっぱり京都泊まりしかないと覚悟した。
列車は、のろのろと動きだし、ちょっと全速で走っては、また徐行しを繰り返した。草津を過ぎて、京都の一歩手前というあたりで全速で走り出した。もうその頃は20:00になろうとするくらいで、「今頃頑張っても、もう遅いよ」というものであった。アナウンスが入った。「まもなく、京都に到着します。本日は、列車が遅れまして、大変ご迷惑をおかけいたしました。乗り換えにつきましては、駅窓口にご相談ください。7番線に到着します」。7番線というのは、あかつきが発車するホームである。本来ならこの列車が1時間以上も前に通り過ぎて、そのあとからあかつきが発車するのだが、もう、あかつきは先に発車してしまったろう。20:04に特急しなのは京都駅7番線にやっと到着した。
京都駅の7番線ホームに降りて、すぐに列車の電光発着板を見た。そこに「寝台特急あかつき・6分遅れ」と表示があった。やった、あかつきはまだ出てない。6分遅れということは、20:08発。しなのがホームを出て行き、その間にあかつきの遅れが9分遅れに変更された。20:11発。よし、駅弁だと探したが、7番線ホームの売店は、もうシャッターが降りている。他のホームの売店に走って買ってくるほどの時間的余裕はないだろう。仕方ない、今日は夕飯はなし。あかつきに乗れるだけでラッキー!20:10くらいにあかつきはホームに入線。写真を何枚か撮って、発車寸前にあわてて乗り込む。
(予定)20:02発京都→ 8:12着諫早(JR寝台特急あかつき)
あかつきのA寝台個室は、これまで乗った寝台特急の中で、ベッド幅が一番広い。これは快適。クーラーの効きもよい。ビデオ・モニターが付いていて、なんとクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」をやっている。昼間の車内で買った、残り物の「柿ピー」を唯一のつまみにして、持参のペットボトル入り芋焼酎をちびちびやりながら、映画を見る。見終わって、読みかけの文庫本を読んでいる内に、眠くなって、11:30頃ベッドに横になって、列車の振動が子守歌になって、すぐに眠りに落ちた。
夜中に、二三度目覚めたが、快適に眠って、6時前に目が覚めた。寝台特急のA寝台個室に乗るのは、これで4度目だが、このあかつきで初めてのことが、「シャワー・ルーム」が付いていることである。検札に来た車掌が「シャワー・カード」をくれる。このカードを使うと、6分間のシャワーが使える。6分間で、シャワーができるかとも思ったんだが、早く目が覚めてしまったし、シャワー室に行った。カードを挿入して、お湯を出すと、6分間の逆算カウンターが動き出す。お湯を止めるとカウンターも止まる。始めの1分30秒くらいで、身体にお湯をかけて、一度止めて、石鹸で身体を洗い、1分くらいお湯を出して、洗い流し、お湯を止めて、シャンプーを使い、1分ほど洗い流して、止めて顔を洗い、洗い流すと、なるほど4分くらいあれば、シャワーの用は足りる。普段は、お湯を流し放しでシャワーを使っているが、限りがあると思えば、4分くらいのお湯でシャワーの用は足りることがわかった。残りの2分分はもったいないので(?)、カウンターがゼロになるまでお湯を浴びたけれど。
朝シャンをして、身体はさっぱりしたけど、腹は超減っている。この列車は、これまでの寝台特急と違って、朝食の車内販売は一切ない。荷物を整理して、空腹を抱えて車窓の景色を眺めていると、7時頃、車掌が来て、「昨夜山陽本線で人身事故があって、この列車は遅れています。お客さんは佐世保に行くのに、諫早乗り換えだが、この次の肥前山口で佐世保線に乗り換えた方が佐世保に早く着きます。切符はそのままでいいですから、乗り換えたらどうですか。あと5分くらいで肥前山口ですが」と勧める。慌てて、荷物をまとめて、肥前山口で降りて、別のホームに停まっている佐世保線の電車に乗り換える。
<7月30日(月)>
7:28発肥前山口→ 8:37着佐世保(佐世保線)
やっとのことで、佐世保駅に降り立って、コインロッカーに荷物を入れて、朝食を探す。駅の周りを歩き回って、「朝定食」の看板を出している店に入る。鮭と卵焼きの定番の朝定食だったが、これがうまいこと、こんなにうまい朝飯は久し振りに食べた。朝飯がうまいほど幸せなことはない。人間やっぱり、腹を空かさねばダメである。
9:30頃、バスに乗って、「西海パールシーリゾート」に向かう。ここは西海国立公園観光の中心らしい。桟橋から遊覧船「パールクィーン」号に乗って、九十九島(くじゅうくしま)を観光する。
九十九島(くじゅうくしま)は、長崎県の佐世保市、鹿町町、平戸市にかけての北松浦半島西岸に連なるリアス式海岸の群島である。島の総数は現在公式には208とされている。ちなみに同じ長崎県の島原市には九十九島(つくもじま)というのがあるが別物である。
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九十九島の景観には、さほど感動しなかったが、定員280名のかなり大きなこの遊覧船を操舵しているのが女性船長だというのには驚いた。しかも、なかなかの美人のカッコイイ船長なのである。帰港して、桟橋に着岸するときのかなり難しいだろう操舵を軽快にこなす茶髪ロン毛の美人船長に見とれていたのだった。 |
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約1時間ほどの遊覧船観光を終えて、「西海パールシーリゾート」の水族館とか、周辺を歩いたのだが、どうもぱっとするものはなかったので、12:00頃、バスに乗って、佐世保市内に帰った。
昼食を探して駅から歩き出すと、「させぼ四ヶ町」というアーケード街に出た。なかなか立派な長いアーケード街である。にぎわっている街の条件にはアーケード街が欠かせないが、佐世保のアーケード街もなかなか立派である。なにを買うわけでもないが、店先を見ながらぶらぶら歩くアーケード街は楽しい。
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アーケード街で昼食を食べてから、駅に向かって歩いていると、立派なカトリック教会があった。長崎県は、日本一カトリックの多い県だそうだ。 |
駅の手前に、大きなコンベンション・ホール「アルカスSASEBO」がある。この中の、大会議室で、明日、講演することになっている。 |
15:00頃、佐世保駅前の佐世保シティホテル (西肥バスセンタービル)にチェック・インして、シャワーで汗を流して、ゆっくりする。
17:30、佐世保東翔高校のY教諭とホテルのロビーで落ち合い、アルカスSASEBOに行く。明日の研究大会の準備をしている東翔高校の先生方と挨拶を交わす。講演用のPPTデータを会場のPCに移して、スライドの調整を行う。
18:30頃、会場準備が終わって、会場近くの居酒屋で、東翔高校の先生方7,8名と懇親会の席を囲む。その席に出た大きなイカの活き作りは、足などぴくぴくと動いていて、なかなか見事であった。
<7月31日(火)>
8:00頃 佐世保シティホテルをチェックアウトして、アルカスSASEBOに向かう。
この日は、アルカスSASEBO(3F)大会議室において、「平成19年度長崎県高等学校教育研究会総合学科部会第3回研究大会」が開催された。
この全体会で、10:40〜12:10に、演題「総合学科高校のこれまでとこれから−筑波大学附属坂戸高等学校での12年の実践を踏まえて−」という講演をした。ほぼ時間通りに講演を終えた。自分でいうのもなんだが、まあまあの手応えであった。少なくも、呼んでくれた先生の期待には応えたであろう。
午後は、3つの分科会があって、最後の閉会行事で、指導助言を述べた。午後の分科会の議論を聞いた率直な感想として、長崎県の総合学科研究大会のレベルは高いと述べた。
16:30頃、すべての公務を終了して東翔高校の先生方と別れの挨拶をした。
前任校のF先生のご実家が佐世保の近くで、今夜は、泊めていただくことになっている。アルカスSASEBOのロビーで待っていてくださったF先生の車でご実家に向かう。
F先生のご実家は、波佐見町というところで、有田焼などが有名な陶器の産地であって、ご実家のご両親も陶器関係のお仕事をしている。
ご実家に着いて、公務用のスーツを着替えたら、「汗を流しに、温泉に行ってきましょう」ということで、車で20分ほどの嬉野温泉の立ち寄り湯に行く。蝉の声が降り注ぐ露天風呂で手足を思いっきり伸ばして、公務が終わった開放感にひたる。
温泉から帰って、F先生のご両親と、F先生ご夫妻とで、新鮮なお刺身の大盛り皿とお寿司の山盛り皿とでおもてなしをしてくださった。F先生のお父上は、陶器関係の自営業の職人さんで、職人さんらしいこだわり(ポリシー)を感じさせる方で、話し好きで、会話は楽しかった。酒好きの私のために用意してくださった地元の芋焼酎「ちょうちょうさん」というのがとてもうまくて、勧められるままに呑みまくって、すっかり酔っぱらって、くどい話同志のお父上と私は意気投合してしゃべり続けた。
お母上や嫁さんが、片付けに入っているらしいのに気がついて、時計を見ると、12時を回っているのに驚いたほど、気分よく時の経つのを忘れてお父上と私はしゃべり合っていた。楽しい夜を過ごさせていただいたことを心より感謝しております。
<8月1日(水)>
9:00頃、お父上の運転する車で、ハウステンボスの入口まで、送っていただく。今日は、F先生ご夫妻と、前任校の元同僚で現在は長崎大学准教授のK先生と、前の職場で一緒だったことのあるKBちゃんも合流して長崎観光をする。
午前中は、ハウステンボスの観光である。入口でK先生と落ち合う。K先生は、東京に夫と子どもを残して長崎に単身赴任しているたくましい女性とはとても思えぬほどに可愛い人である。いじめっ子タイプのF先生夫妻にいつもいじめられているのだが、本人はいじめられているとは気がつかぬほどに天然タイプである。
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ストリートオルガンの展示館では、案内のおねーさんの一生懸命さがけなげで、つられて我がおねーさん達も、懸命にオルガンのハンドルを回していた。 |
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「フライト・オブ・ワンダー」というアトラクションに乗った。子供だましと思っていたが、出口には、ばっちりと業者写真が展示してあり、結構真剣に写っているのがおかしくて、大枚千円で買ってしまった。
ハウステンボスのアトラクションは、我々はついこの手のものを東京ディズニーランドと比較してしまうので、その基準からすれば遠く及ばないが、しかし、「ホライゾンアドベンチャー」という真水を使って大洪水を起こすアトラクションは、4人とも、出てくるなり、「ハウステンボスにしては、よくやっているよね!」という高い評価であった。 |
お昼時になって、ハウステンボス駅の前にあるレストランに入って、生ビールを飲みながら、「カニの食べ放題」を食べた。カニといえば北海道とか北陸というイメージで、長崎に来て、カニを食べるとは思わなかったが、これが意外に太くていいカニで、おいしくて、カニばかり、無心に腹一杯食べてしまった。夜まで、胃に残っていたほど、食べまくった。こんなに腹一杯カニを食べたのは初めてかもしれない。
すっかり満腹して、電車に乗って、長崎に向かった。
ハウステンボス(13:55)発〜長崎(15:13)着(快速電車)
長崎駅でKBちゃんと合流した。KBちゃんは、仕事も辞めて、悠々自適の一人旅らしい。相変わらず、明るくて屈託がない。
午後からは、長崎市内観光の観光タクシー(ラッキーグループ)に乗った。運転士が老練のしゃべり上手で楽しく観光した。
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崇福寺 |
オランダ坂 |
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孔子廟 |
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大浦天主堂(たしかに長崎は坂の街である) |
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グラバー園 |
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出島(昔は海の中の出島だったが、今は、埋め立てで街中にある) |
出島を見て、一度今夜の宿泊先のホテル(ホテルモントレ長崎)にチェックインした。シャワーを浴びて、また観光タクシーに乗って、稲佐山の夜景を見に行く。
天気もよく長崎の夜景はきれいだったが、やや横長の散漫な夜景で、夜景の凝縮度では「函館山の夜景」の方が上であった。
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稲佐山の夜景 |
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思案橋(長崎の歓楽街) |
ここで、本日の打ち上げ かまど茶屋 |
夜景を見終わって、タクシーで思案橋まで送ってもらう。「思案橋ブルース」という歌謡曲がヒットしたことがあるのを思い出す。ここの「かまど茶屋」という居酒屋で、今日の打ち上げである。なかなか濃い一日だった。
<8月2日(木)>
9:00頃、ホテルモントレ長崎をチェックアウト。今日は、一人で、平和公園や原爆資料館を見学する。社会科の教師としては、長崎に来て、原爆を素通りするわけにはいかない。
市電に乗って、JR長崎駅に行き、荷物をコインロッカーに預ける。
また、市電に乗って、松山町で降りる。「原子爆弾落下中心地」の石碑のある「原爆公園」に入る。慰霊碑に手を合わせてから、その先にある「長崎原爆資料館」に行く。今更ながらに原爆の非人道性に思いをめぐらす。長崎選出の代議士のくせに、「原爆投下は、しょうがなかった」と言って大臣の首が飛んだバカな政治家がいたが、まったく信じられない。彼は長崎で、どんな生き方をしてきたんだろう。
原爆資料館を出て、歩いて「平和公園」に向かう。有名な「平和祈念像」のある、8月9日に慰霊祭をやる会場である。ちょうど、慰霊祭の準備が行われていた。あの政治家は、地元の代議士でも、今年は、慰霊祭に呼ばれないんだろうな。二度と呼ばれないか。
平和公園の売店で、家へのおみやげを買った。「被爆者の売店」みたいな看板を見て、つい余計に買ってしまったんだが、ちょっと変な気もする。しかし、今でも、被爆認定をめぐって国と裁判などやっているのだから、そういう運動を支援するということだろう。
平和公園を出て、浦上天主堂に向かった。長崎県は、キリスト教徒の最も多い県だそうだ。今でも、隠れキリシタンの伝統を守っている島があるそうだ。今では、隠れる必要もないわけだが、隠れた方が信仰心が深まるという感じもするな。浦上天主堂は、原爆で崩壊して、戦後再建された。たしかに、関東地方では見たことのない立派な教会である。思わず、100円のお賽銭(ではないか)をあげて、手を合わせた。
浦上天主堂を出る頃、雨が降ってきた。「長崎は、今日も雨だった」というヒット曲があったから、長崎に雨は似合うんだろうと思いながら、歩き出した。市電の通りに出るつもりで、適当に歩いたら、なかなか出なくて、結果的には、市電の通りと平行して歩いていたようだ。結構歩いて、長崎大学の脇に出てしまった。結局、「浦上車庫前」という駅から市電に乗って、14:00近くに長崎駅に帰った。そこで、駅の周りをぶらぶらして、「長崎チャンポン」を食べた。
台風が来ているらしいことは知っていたが、あまり気にとめてなかった。しかし、だんだん風雨が強まってきて、外を歩くのが辛くなってきたので、駅に隣接する商店街や商業ビルを歩いて、時間をつぶしていた。今夜の寝台特急あかつきに乗り込むまで、駅の周辺で過ごすつもりだった。
16:00頃、なんとなく携帯を見たら、F先生からメールが入っていて、「台風で、寝台特急あかつきは運休だそうですが、大丈夫ですか?」と書いてある。「げっ、シラなんだ!!」とあわてて長崎駅の緑の窓口に駆け込んだ。たしかに運休であった。寝台特急あかつきの切符を払い戻して、明日の8:30発の「かもめ8号」で博多まで行き、博多から京都までの新幹線に替えた。1万円くらい戻ってきたが、今夜のホテル代に変わるから同じことだ。隣にある観光案内所に行って、駅前にある西九州第一ホテルを予約した。
夜は外出できる天候ではなくなってきたので、ホテルのレストランで夕食を食べて、部屋のTVを見て過ごした。九州の台風は凄いかなと期待(?不謹慎)したが、それほどでもなく、ぐっすりと寝た。
<8月3日(金)>
台風一過、8:30長崎発かもめ8号に乗り込んだ。途中、台風の影響で、川が増水しているので徐行するとかの放送があったが、行きの中央本線ほどのことはなく、無事に博多で、新幹線京都行きに乗り込むことができた。
京都に昼頃に着いて、最初の予定では、京都に朝着いて京都観光も入れていたのだが、すっかり疲れてしまって、夕方に京都を出る指定券を午後早くに出る新幹線に変更してもらって、そのまま帰路についた。
なかなか、充実した長崎旅行だった。
(UP:2007/09/02)
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