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日記F(050116〜)

2005年12月26日(月)
今年も暮れる

 しばらく日記を開かなかった。喉の魚の小骨が取れたら、\( ^o^ )/ ヤ ッター♪と書こうと待っていたのだが、ついにその機会無く今年も暮れてしまいそうだ。もう、2年と9ヶ月、だいぶ小さくはなっているのだが、まだ、しっかりと喉に食らいついている。チクッとした痛みはなくなってきて、ときどき痒い意識が生まれているから、よくはなっているのだろう。もう少しだ、\(^▽^)/ガンバルゾォー

 今夜の11時過ぎに、年賀状を出してきた。例年より、2・3日早いんじゃないか。

 うーん、書くことがない。仕事関連の話しは書けないし、HPの日記に書けるようなことがないということは、個人的な生活が充実していないということだ。日記に書けるような個人的な生活なんて、たしかにないよな・・・・・・。

2005年9月4日(日)
今年の夏も暑かった・・・・・。

 夕方、激しい雷雨。これで、暑い夏は終わりにしてほしい。人一倍の汗っかきなんで、夏はダメ。なにやるにも汗ぐっしょりになって、やる気喪失。7月、8月は、テンション、ヒクッ(低い)!待てよ、3月、4月は花粉症で、テンション、ヒクッだから、これで一年の内、四ヶ月、つまり三分の一はダメなわけだ。まあ、一年の内、三分の二も真面目に働けば、いいか。

 のどに刺さったサカナの小骨は、まだ治らない。6月、7月は、特にひどかった。最近も不定愁訴が続く。コン、コンッ、エーーッといつも咳払いをしている。もう、2年と5ヶ月、のどの奥の違和感に悩まされている。小魚をよく噛みもせずに飲み込んだという取るに足らない小さな失敗のために、2年と5ヶ月も苦しめられているというのは、なんとも割に合わない。人生最大の失敗かもしれない。

 最近聞いた話で、一番腹が立ったのは、「巨人の次期監督候補に星野仙一!」という話。馬鹿か!?誰が考えたんだ?そこまで、巨人の経営者は馬鹿か?星野仙一を監督に呼んで、巨人を強くしてもらって、巨人ファンは喜ぶと思うのか?星野仙一は、打倒巨人に燃えた男ぞ。あれだけ、むき出しの闘志で巨人に立ち向かった男ぞ。だからこそ、巨人ファンも、星野仙一に敬意と愛情を抱いているのだ。強いライバルがあってのスポーツぞ。村山 実、平松政次、松岡 弘など、巨人キラーといわれた大投手達を、巨人ファンは敬意をもって愛したのだ。彼らは、強い巨人が立ち向かっていく偉大なライバルとして君臨していなければならないのだ。いくら、星野仙一が「ダメ虎」と言われたタイガースを一夜のうちに「牙むく虎」に変えた名将であったとしても、それはタイガースだからいいのだ。「巨人を倒す」という星野仙一の命題にとって、中日でやろうが、阪神でやろうが、巨人ファンにとってはどちらでもよい。しかし、星野仙一が巨人の監督になったら、プロ野球のドラマはオシマイだろう?星野仙一に強くしてもらった巨人って、なんだ?それはもう、巨人じゃないだろう。

 それにしても、記者団に囲まれている星野仙一もあやしかった。「候補にあげてもらったことは、光栄に存じますが、今の段階では、なんともコメントできません」って、結構嬉しそうな顔していた。「馬鹿野郎!俺は星野仙一だぞ!巨人の監督なんかできるか。ふざけたこと言うな!」くらいのことは言ってほしかった。星野仙一が巨人の監督になったら、完全に巨人ファンはやめる。それどころか、プロ野球ファンをやめる。

 他チームの四番バッターを金にあかせて引っ張ってきて、史上最強打線だのって言ってる超アタマの悪い野球をやるようになった巨人にドラマを求める方が無理というものであるが、オールド巨人ファンとしては、なんとか強くてスマートなかっこいい巨人を再生してほしい。最近では、ちょっとドラマを感じさせた原 辰徳を監督に呼び戻すことでしょう。それには、ナベツネは原さんに土下座して、「私が悪かった。なんでも言うとおりにするから、もう一度、監督をやってください」とお願いするしかないでしょう。それができなければ、巨人はおしまいでしょう。楽天のファンにでもなろうかな・・・・・・。

2005年6月23日(木)
6月は、チョー忙しい!

 さすがに花粉症は、6月に入る頃に終わった。でも、6月は、土日も家にいられる日はほとんどなく、チョー忙しい!まいった、早く夏休みになってくれ!

 サカナの小骨は、依然として一進一退で、治まりそうかなという日があるのだが、また、ひどく痛む日が来たりして、終わっていない。もう、2年と3ヶ月だよ、サカナの骨には気をつけよう!


 今朝、4時頃からコンフェデ・カップのブラジル戦を見た。初めの内は、寝ぼけ眼だったが、しだいに引き込まれた。ブラジルは早くて強くて凄い。しかし、日本も凄いのだ。決して引かずに真っ向勝負なんだ。後半、2対1で負けているのだが、もしかしたら追いついて、逆転勝ちするかもって思っちゃうほど頑張っているんだ。逆転勝ちしたら、日本がベスト4に進出して、ブラジルが予選落ちするんだよ。そんなこと、あり得ないだろ。でも、あり得るかもしれないって思うほど、日本は頑張っているんだ。ついに残り時間2分ほどで、シュンスケのフリーキックがゴールポストに跳ね返ったところをオオグロが蹴り込んで同点!ロスタイムに、あわやオオグロのヘディングが決まるかというシーンまで生まれて、引き分け。世界最高のブラジルと引き分けだよ。それも、あわや逆転勝ちかというシーンまで作ってくれて。いやあ、ジーコ・ジャパンはやる〜!そういえば、その前の試合は、ヨーロッパ・チャンピオンのギリシャを堂々と破ってしまったのだから、凄いよ!もう、ジャイアンツはいいや。しばらくはドイツ・ワールドカップだ!頑張れ、ジーコ・ジャパン!!!

2005年5月20日(金)
まだ、花粉症が終わらない・・・・。

 もう、ほとんどの人は、花粉症は終わったと言っているのに、今朝も、くしゃみと鼻水は止まらなかった。まったく、なんなんだ・・・・・・・。

 魚の小骨も、どんどん小さくはなっているが、まだ、なくならない。もう、2年と2ヶ月だよ・・・・・。怖いねぇ〜・・・・。

 ジャイアンツ・ファンというのは、タイガース・ファンのように「負けても負けても応援する」という気はない。強いからジャイアンツなんで、惨めに負け続けるのは、あれはジャイアンツではない。今年のプロ野球は終わった。

 TVドラマ・ファンとしては、最近のドラマのつまらなさはうんざりである。真面目にやれ!ちゃんと作れ!子供にまで、「ありえないーーー?!」ってウソを見抜かれるような話を作るな。それから、TV視聴者を舐めるな。「TVを見ているヤツは馬鹿ばっかり」と思いながらドラマを作るな。ドラマがつまらないから、みんなバラエティにばかり行ってしまうのだ。ウチなんか、リビングのTVを占拠するムスメやムスコはバラエティばかりで、ドラマ好きのお父さんは、肩身狭く2階の自室にこもってドラマを見ているのだが、見ている内につまらなくなって、腹が立ってくるのだ。視聴率ランキングでドラマが低調なのもわかるよ。ウソだらけの作り物のドラマにはシビアな若者は感動しないんだよ。どうせ、ドラマじゃ、視聴率取れないんだから、もっとレベルの高いところを相手にドラマを作れ。大人のドラマを見せろよ。

2005年5月6日(金)
蜷川・大竹の「メディア」(シアターコクーン)を観てきた

 今夜、演出・蜷川幸雄 主演・大竹しのぶ「メディア」(シアターコクーン)を観てきた。エウリピデスのギリシャ悲劇を蜷川演出と大竹しのぶで2時間ノンストップ上演。ラストには、目つぶしで、何が出てくるかと思ったら、西洋風ドラゴンに乗った大竹が宙を舞う。舞台奥の搬入口が観音開きで開いて、雨にけぶる渋谷の街路を見せる。これは、昔、唐十郎の状況劇場がテントを開いて新宿の高層ビルを見せるのでやった手法。舞台一面に本水を張って睡蓮の池にした美術など蜷川演出は相変わらず凄いが、何が凄いと言って、大竹しのぶ がものすごい。

 すでに、とっくに私の中では、大竹しのぶは日本一の舞台女優であるが、今日も、再確認した。それにしても、ギリシャ悲劇というのは、ものすごく濃い芝居だが、それを大竹はさらに鮮やかに描いてみせる。これでもか、これでもか、というくらいにしつこいのだが、それを大竹がやると、いやではない。心地よい緊張感に引き込まれて、納得してしまう。大竹しのぶは、最高の舞台女優である。(大竹を継ぐのは、広末涼子だと思っているのだが、広末も離婚するかな?!!!・・・・・)


 魚の骨は、まだ、取れない。もう、ちょっとだと思うのだが・・・・・・・・・。

2005年5月3日(火)
花粉症は、終わっていなかった

 GWに入る前に、「花粉症は終わった」宣言をしてしまったが、まったく終わっていなかった。相変わらず、くしゃみと鼻水に責められまくっている。やはり、GWが終わらないとダメのようだ。

 GWは、HP制作と自室の掃除でのんびりと過ごしている。この生活が最高。昔は、ヒマを作れない性格だった。ヒマなことは罪悪だと思っていた。これだけ休みが続いたら、必ず途中で職場に行って、無人の職場で黙々と仕事をしていたものだ。仕事で後れを取るのはいやだった。でも、今はヒマが最高。毎日がGWの生活も悪くない。早く、そうなりたいな。

2005年4月29日(金)
花粉症が終わった

 今日は、夏のように暑かったので、自室の窓を全開していたが、くしゃみも鼻水も出なかった。今年の花粉症は終わったようだ。まだ、檜の花粉は飛んでいるそうだが、私は杉花粉症だから、一足先に終わりだ。

 のどの魚の骨も、静まっているが、これはまだ油断はできない。もう少しの辛抱だ。

2005年4月24日(日)
花粉症は、そろそろ終わりそう・・・。

 今日は、天気もいいし、少し、鼻水も減ってきたので、思い切って、自室を全開して、ふとんを二ヶ月ぶりにベランダで干した。この二ヶ月、一切窓を開けないで掃除もしてきたが、久しぶりに、さわやかな風をたっぷりと入れて、掃除をした。しかし、花粉症は、まだ、終わってはいなかった。そのあと、何度も猛烈なくしゃみと鼻水に襲われた。「もう少しの辛抱じゃい!」と根性を入れて鼻をかみ続けた。

 もう一つの我慢の「のどに刺さった魚の小骨」は、しだいに小さな点になってきた。まだ、なくなってはいないが、「あと、少し・・・」という感じになってきた。2年は長かったが、あと少し、根性じゃい・・・・・。

2005年4月17日(日)
蜷川「キッチン」を観てきた

 金曜の夜、蜷川幸雄演出「キッチン」(シアター・コクーン)を観てきた。1960年代に学生演劇をやっていた私にはとても懐かしいアーノルド・ウェスカー(イギリスの劇作家)の作品である。大衆レストランの厨房(調理場)を舞台にして、鬱屈した若者のエネルギーの衝突と希望への憧憬とやり場のない焦燥感・閉塞感を描く。冷戦最中の1960年代の若者達の焦燥感・閉塞感を捉えて、当時の若者達の共感を呼んだ傑作である。当時、劇作家・清水邦夫と組んで若手演出家として売り出していた蜷川さんの青春の記憶に鮮烈な作品なのだろう。平和呆けの今の若者に受けるだろうかと疑問を持ちながら観に行った。

 第一幕は、登場人物33人という集団劇を演出する蜷川さんの相変わらずのエネルギーに感動していたが、一人一人の登場人物の背景が見えてこないで、ののしり合いがちょっとうるさかった。やっぱり、古い芝居かなと思った。第二幕になって、成宮寛貴演ずるペーターが夢を語り合おうとして、語るべき夢がないことに気づいて、愛人にも突き放されて、ドイツ野郎とののしられて、切れて暴れて、血だらけになって、「どうしろって言うんです!」って泣きながら舞台を去っていくまでのシーンは、引き込まれた。凄い、さすがに蜷川!、損はさせない。

 ウチの妻と娘は、TVドラマに出てくる成宮寛貴を毛嫌いしている。見栄えばかり飾っているチャラチャラした不実な若者というキャラクターの役が多いので、「第一印象で人間を決めつける」ことになんの罪悪感も持っていないウチの妻と娘は、「成宮はキライ!」と言ってはばからないのだが、舞台で観る成宮はよかった。前半は、やや一本調子でやっぱりダメかなと思っていたが、ラストシーンに向かっていく爆発シーンでは、なかなかの迫力だった。杉田かおるも愛人役で出ているのだが、最近のバラエティでの杉田と違って、真面目に芝居をやっていて好感をもった。芝居は、真面目でなければできない。

2005年4月15日(金)
「貴子」さん、頑張れ!

 のどに刺さった「魚の骨」に苦しんでいる同病相憐れむの「貴子」さん、一ヶ月や二ヶ月で、人生お先真っ暗などと言ってはいけません。私など、二年が過ぎたけど、まだまだ取れません。前にメールをいただいた頃に、ちょっと楽になって、「あっ、他人の不幸を見て、これで直るかな」とほくそ笑んだのですが、でも、ダメでした。もう、あとちょっとの感じなんですが、夕方になってくると、暴れ出します。もう、2年ですよ。一ヶ月や二ヶ月で、絶望的なことを言ってはいけません。所詮は、魚の骨です。人間の身体の中で、永遠に存在できるわけがありません。人間の身体の復元力が、魚の骨など溶かしてしまう(はず?)です。「貴子」さんは、若いんだから、なにか打ち込むものがあるでしょう。そういう時は、忘れられるはずです。こいつは、自分がウズウズしているときは、存在がどんどん大きくなってきます。自分が楽しいことをしているときは、すっかりと忘れています。自分の楽しいことに打ち込んでください。頑張りましょうね!

2005年4月11日(月)
同病の方から励ましのメールをいただいた

 当サイトに設置しているフォームを通して「貴子」さんからメールをもらった。彼女も、「魚の骨がのどに刺さって、憂鬱で何もする気が起こらないほど悩んでいる」とのことである。まことにお気の毒だが、でも、甘〜い!まだ、一ヶ月半だそうだ。私など、ついに、この4月でまる2年が過ぎてしまった。かなり、よくなってきてはいるが、まだまだ、しっかりと魚の骨は残っている。もう、最近では、このまま一生抱えていくのかとあきらめ気味になることもある。仕事に没頭しているときは、忘れられるほどにはなってきているのだが、ちょっと気を抜くと、魚の骨が神経を突っつき始める。のどから左肩から左側頭部へと不定愁訴が責め続ける。その上、花粉症がひどくて、鼻はつまるは、目は痛いはで、もう、ほんとにやる気はなくなる。「貴子」さん、がんばれよ!長期戦は、覚悟せよ!

2005年3月21日(月)
花粉症がひどい

 前から言われていたことだが、今年の花粉症はひどい。めちゃくちゃやられている。気力最低。その上、喉の魚の骨が最後のひとかけらのように暴れている。もう、気分最悪。やる気なし。その上、そうも言ってられなくて、先週末に、また頑張ってしまったら、昨日・今日と腰が痛くて、立ち上がるのもツライ。もう、いい加減にしようと思うのだが、そうもいかないか。まだ、現役だものな。いい加減になんかできないよな。\(^▽^)/ガンバルゾォー

2005年3月13日(日)
「熱海殺人事件 平壌から来た女刑事」
 金曜の夜に紀伊国屋ホールで「熱海殺人事件 平壌から来た女刑事」を観た。つかこうへいは、健在だった。相変わらず、刺激的な台詞をバンバンと並べて、もうすっかりと保守の側に身を置いている私には、「いいのかなあ、そんなこと言っちゃって」と心配になるほどメチャクチャ言っているのだが、のめり込めない最大の理由は他にあった。

 石原良純では伝兵衛はできない。ときどき甲高い声を出してアクセントを付けるだけの平板な演技では、つかこうへいの毒は表せない。黒谷友香もヘタだったが、つか好みのキリッとした顔立ちと脚の長さで、これはこれでいいとしよう。そこいくと、結婚出産前に観た広末涼子(「幕末純情伝」「飛龍伝」)は、つか芝居にぴったりとはまっていた。早く、広末を観たい。それにしても、つかさんは、なんで石原良純を使ったのだろう。TVの天気予報やバラエティに出てくる人のよいお坊ちゃんキャラの石原良純を伝兵衛に起用するからには、つかさんなりの目論見があったのだろうが、成功したとは思えない。坂本長利、三浦洋一、風間杜夫の伝兵衛を観てきた「VAN99ホール」以来のつかファンとしては、石原良純じゃないだろうと言わざるを得ない。
2005年3月10日(木)
花粉症が出た

 先月末頃から、グズグズはしていたが、ついにはっきりと花粉症が出てしまった。日記を見ると奇しくも昨年も、3月10日だった。ところで、3月10日は、東京大空襲の日である。私の生まれた本所区(現墨田区)は被災地の中心部だった。父方の縁者のほとんどがこの大空襲で亡くなった。私の家は、昭和19年12月に母の実家のある埼玉県浦和市(現さいたま市)に疎開して、大空襲を免れた。ほんの2、3ヶ月の行き違いで私の一家も東京大空襲で全滅していたかもしれない。そう思えば、花粉症などに負けてはいられない。
 花粉症は仕方ないにしても、喉に刺さった魚の骨は、まだ取れない。だんだん遠ざかってはいるが、それでもしつこく確実に喉に存在し続けている。日によって、結構つらい時もある。あと半月くらいで、2年目を迎える。

2005年1月30日(日)
ガソリンスタンドのこと

 一年くらい前に、それまで10年以上も行きつけにしていたガソリンスタンドが閉店した。学校からの帰り道で、便利に使っていたのに、なくなってしまった。それで、この一年くらいは、やはり学校からの帰り道にあるスタンドを使っていたが、そこが、セルフに模様替えするので、数ヶ月、工事のため休店する。それで、別の店を探さねばならないのだが、学校から家への通勤路には、もうガソリンスタンドがない。ガソリンスタンドって、こんなに少ないもんだったっけ?

 セルフのガソリンスタンドは嫌いだ。なんで、自分で車を降りて、自分でガソリンを入れなきゃいけないんだ。1円や2円高くたって、スタンドのお兄さんに入れてもらった方がいい。これからは、どんどんセルフになっていくんだろうけど、淋しいね。ガソリンスタンドの、「オーライ、オーライ、ストップ!いらっしゃいませ!」っていうお兄さんの元気な声が好きだったんだ。

 喉に刺さった魚の骨は、まだ取れない。背骨に来るような深い痛みはなくなってきたから、もうすぐ治ると思うが、最後のひとかけらが、どうにも取れない。

2005年1月29日(土)
夢を見た

 久しぶりのなにも用のない休日で、目が覚めるまで寝ていたら、珍しくリアルな夢を見ていた。海岸が目の前に広がる洒落た部屋の広間で、演劇部の稽古をしている夢なんだ。演劇部の時代に、海岸べりで合宿したことなどないから、過去の思い出ではなくて、願望なんだろうが、とても楽しそうだった。ただ、それだけなんだが、年取ってくると、昔の楽しかったことを夢に見るようだから、そんなことなんだろうが、演劇部か・・・・・懐かしいな!

2005年1月25日(火)
転んだ!

 今日、とても無様に転んでしまった。車道と歩道の境目の20cmほどの段差に足を踏み外して、とても無様に転んでしまった。足に力があれば、転ぶほどの躓きではなかったはずだ。ちょっとしたバランスの崩れをカバーできなくて、なんだか、アァーーーと叫びながら、スローモーションで転んでいった。後ろから走ってきた車が、ビックリしたように急停車した。轢かれる位置ではなかったが、道路の端で突然ジジーが無様に転んだのでビックリしたのだろう。立ち上がって、恥ずかしくて、ゴメンナサイと頭を下げて、そそくさと歩いたが、膝と手の甲が打ち身と擦り傷で痛かった。それよりも、ああ、こうやって年寄りになっていくのだなぁーということが、とても痛かった。


戸狩温泉スキー場のtopから、野沢温泉スキー場を望む。
2005年1月16日(日)
新しい年の初めに
 昨年暮れのスマトラ沖大地震は恐かった。新潟中越地震の凄さに驚いている内に、もっとすごいものを見せられてしまった。最近のTVは、阪神淡路大地震の10年目に当たる1月17日に合わせて、連日のように「直下型大地震が関東を襲う」とあおり立てている。新潟中越地震やスマトラ沖大地震の映像を連日見ている我々には、他人事とは思えない。すぐに関東に大地震が起こっても少しも不思議ではない。しかし、だからといって、いますぐ、どうしようというわけにもいかない。昨日のTVで、「地震でも倒壊しない家」というのをやっていたが、今の家を耐震補強するには数百万円がかかるらしいし、それに、家にいる時に地震が来るとも限らない。ツマもムスメも昼間は東京だし、私も、週に2回は東京へ行く。ない金をかき集めて、家を耐震補強しても、東京で満員電車に乗っている時に大地震が来たら、助からないよなぁ!!ところで、我が家は地震保険に入っているのかな?

 暮れの29日から元日まで、JET SKI CLUBの正月合宿で戸狩温泉スキー場に行っていた。スキー場はどこも不景気のようで、なじみの民宿のオーナーや、リフト会社の皆さんには申し訳ないが、我々スキーヤーには、ゲレンデは空いているし、リフト待ちはないし、まことにスキー天国である。気持ちよくバンバン滑ったといいたいところだが、さすがに61歳でスキーは厳しい。緩斜面では、さすが1級という滑りをしていると自負しているが、ちょっと距離が長くなったり、ちょっと斜度がきつくなったりすると、もういけない。息が上がる前に、太ももが悲鳴を上げる。それを無理して滑り続けると、スピードに耐えられなくなって、とんでもない大転倒につながることは2年前に経験しているので、近頃は無理をしない。休み休み、ゆっくりと滑る。中3のムスコは、一昨年くらいまでは私の後ろにくっついて滑っていたが、昨年くらいから、ムスコにはもうついて行けない。今年は、初めから一日中滑るのは無理だとあきらめて、読みかけの司馬遼太郎の文庫本を持っていった。ちょっと滑ると、レストハウスで、熱燗を飲みながら、文庫本を読んで時間をつぶした。戸狩温泉スキー場は、リフト1日券3900円のところ、シニア一日券(55歳以上)が2500円(自己申告でOK)で買える。2500円なら午前中だけの滑りでも十分に元を取っていると思える。

 それだけ、休み休み滑っても、ふだんほとんど運動をしていない61歳には、スキーはハードである。2日半のスキーと30日・31日の飲み会ではしゃいだせいか、元日の夜明け前からお腹が痛くなってトイレに何度も通った。朝、食堂でお雑煮を前にしても、少しも手が付けられない。お茶もろくに飲めない状態である。熱もあるみたいだ。これから家まで234kmを車を運転して帰らねばならない。それに関東地方は大晦日から珍しい大雪で高速道路も通行止めが出ているらしい。昨夜帰った仲間は、雪の影響で埼玉まで7、8時間かかったらしい。帰り支度をしながら、まいってしまった。で、別の予定だった上のムスコに「家まで運転して送ってくれないか」と頼んだ。上のムスコは、予定を変更して私の車を運転して一緒に帰ってくれることになった。「死にそうな顔してるオヤジをほっとけないだろ?」と仲間に言っている。朝9時過ぎに戸狩を出て、元日の空いている上信越道を走って、途中、あぶなく通行止めに引っかかるところだったが、ドライブインを出る直前に通行止めが解除されて、順調に家に帰り着くことができた。初めて、ムスコの世話になった。これは、悪くない。

 家に帰り着いて、熱を測ったら8度あったから、風邪を引いたのかもしれないが、正月らしくTVを見ながらゴロゴロしていたら2日の午前中には平熱になって、お酒もおいしく飲めたから、単にスキー場疲れだったのではないかと思う。スキーに行っただけで、熱を出すようでは、もういかん。それにしても、三浦敬三さんは、百歳でスキーに励んでいるという。まいったね。

 ところで、喉に刺さった魚の骨は、まだ取れません。昨年の11月頃は、不定愁訴がひどくて、まいりました。まあ、悪い方へは行ってないと自分で慰めていますが、この4月で2年になりますから、ほんとに魚の小骨は恐いものです。しかし、これがすっかりと取れた時には、どんな清々しい気分になれるのでしょうか。それを思うと楽しみでもあります。 
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