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日記E(040504〜040911)



2004年9月11日(土)
 今年の夏は、地球が壊れたかと思うほど熱かった。私は、基礎体温が高いのか、冬には強いが、夏にはメチャ弱い。ものすごい汗っかきで、ちょっと動いただけで、汗がしたたり落ちて、びっしょりになる。Tシャツとかポロシャツのときは、まだ許せるのだが、ワイシャツにネクタイ姿のときは、汗の噴き出してくる状態に我慢がならず、それだけでなにもかも投げ出したくなる。クーラーのないところでは、仕事はできない。しかし、これだけ巨大なエネルギーを消費してクーラーを使ったら、環境破壊の進行は加速度的に進むことは、明らかである。エネルギー消費を押さえねばならないという理性と、熱いところでは仕事ができないという欲求と、葛藤している。そうだ、夏には、仕事をしなければいいのだと思うのだが、そんなラテンのようなことが日本人にできるわけがない。夏こそ、自分の仕事の稼ぎ時である。今年の夏は、久しぶりに、緊張感のある生活をした。たった3日間遊んだだけで、あとは寸暇を惜しんで机に向かった。

 たった3日間だけ遊んだというのは、8月2〜4日に、有馬温泉・淡路島に行ってきたのである。2日の夜には、平成10年に、カナダ・スペイン・イタリア・フランスの海外旅行をした24名の団体の同窓会が有馬温泉のホテルであった。毎年、8月の始めに、ブロックの回り持ちで開催して、今年で6回目になる。この種の同窓会としては、よく続いている。来年は東北ブロックの主催で、秋田で開かれる予定だ。

 同窓会は一泊で、ふつうは翌日に帰ってくるのだが、この団のボスが淡路島のある施設の責任者になって赴任していて、ボスにお誘いをいただいて、仲間4人と、淡路島にもう一泊することになった。ボスの車に乗せてもらって、明石海峡大橋を渡って、初めて、淡路島に行った。

 神戸の舞子ビラの庭から見た明石海峡大橋。向こうは、淡路島。  淡路島に渡って、ドライブインから見た明石海峡大橋。向こうは、神戸市街。
 淡路島には、風力発電機が4機あるそうだ。真下で、風力発電機を見たのは初めてだ。  鳴門の渦潮の真上にかかる鳴門海峡大橋。手前に観潮船が見えるが、これからあれに乗って、渦潮を見に行く。
 鳴門海峡大橋をバックに記念撮影。  観潮船の名前が咸臨丸。幕末ものの好きな私には、大感激。船室の階下には、「咸臨丸の博物館」もあって、勝海舟の写真なんかながめていた。
 これが有名な鳴門の渦潮。初めて見た。  時間帯によって、うまく巻かないときもあるらしい。案内してくれたボスが、「ちょうどいい時間だった」と言っていた。
 「淡路人形浄瑠璃館」。地域の伝統文化として保存されている。私は、芸能ファンなので、「文楽」は感動して見る。期待して見たが、さわりを30分ほどで終わってしまった。観光客相手では、仕方ないのだろう。
 夜は、ボスの部屋で、飲み会。メインディッシュは、ヒラメの刺身に、はもの湯引きに、鯛そうめん。まさに、鯛やヒラメの舞い踊り。お魚好きの私は、大感動!!!  陽の落ちる寸前の頃、外が騒がしい。なにかと見ると、きれいに虹が架かっていた。久しぶりに、こんな綺麗な虹を見た。
 翌日4日も、ボスは休暇を取って私たちを車で案内してくれた。最初に案内してくれたのは、西淡町というところで、ここは日本一の瓦の産地だそうだが、ボスが見せたかったのは、瓦工場ではなくて、この看板だった。ダジャレ大好きのボスは、「これ見てよ」と大喜びであった。  それから、淡路島の西海岸沿いの道を北上して北淡町にある「震災記念公園」に行った。ここは、神戸・淡路大震災の原因になった野島断層を、そのまま保存して記念館にしているところだ。
 実際にずれた断層の上に屋根をかぶせて、記念館にした。  これが野島断層のまさに断面図である。
 この断層の記念館を出ると、あの地震で壊れたままの当時の住宅が保存してあって、見られるようになっている。  「あわじ花さじき」。海峡の向こうに神戸が見える。
 ベッカムが泊まったと評判の「ウェスティンホテル淡路」。ここの和食の店で昼食を食べた。  さすがに花と緑の淡路島。このホテルにも、階段状の壮大な花壇があって、花が咲き乱れていた。

 ボスのおかげで、初めて渡った淡路島のすべてを、たった一日で堪能することができた。まことに、持つべきものは、よきボスである。本当に、有り難うございました。

 と遊んだのは、上の3日間だけ。あとは、スケジュール通りの生活だった。

 と、最後に書いておかねばならないのは、「魚の小骨」は、まだ取れない。最終段階だとは思うのだが、チクリと骨の感触はまだあって、夕方になると、首筋が痛くなってくる。しょっちゅう、ウフン、クスンと咳払いをしている。まったく、まいったゼ!もう、1年半だからね。魚の骨は、怖い。

2004年7月17日(土) 
 昨夜、大学のクラス会で5人が集まって飲んだ。ずいぶん少ない集まりのクラス会だと思われるかも知れないが、我がクラス(専攻)は全部で6人なので、体調を崩している一人が欠席しただけでとても集まりのいいクラス会なのだ。大学を出て、30年くらいは、まったく会っていなかったが、それぞれの人生が落ち着いてきた50代になって、ここのところ毎年、この時期に集まるようになった。61歳なので、二人は定年退職して、セカンドライフを始めたところである。年金の話で盛り上がった。一人が年金博士と命名されたほど、年金を研究していて、「80歳までとしても、俺たちの世代はなんとか滑り込めるが、そのあとの世代はきついぞ!」と言っていた。

 60年代半ばの時代的傾向で、3人は、学生運動の活動家だったから、授業に熱心に出ていたわけじゃない。私は、学生演劇にはまっていたので、授業に熱心だったはずがない。授業にしっかりと出ていたのは、今、母校の教授になっている一人だけだった。「おまえ達が授業に出てこないので、俺は大変だったんだぞ!」と真面目な彼は怒っていた。「そういや、あんまり授業の記憶がないなあ。よく卒業できたよなあ」とお互いに感心し合った。

 話変わって、記録のために書いておくのだが、まだ、「魚の小骨」は取れない。だいぶ痛みは少なくなってきたが、まだ、しっかりと喉に食らいついている。まったく、「魚の小骨」は恐ろしい。もう、1年4ヶ月になるものな。魚をバカにしてはいかん。気をつけよう。

2004年6月4日(金)
 記録のために書いておくのだが、「魚の小骨」は、まだ、取れない。最後の一本がノドボトケの左側に刺さっている感じである。もう背骨にまでひびくような悪質な痛みはなくなってきたが、チクとした狭い範囲の痛みは、続いている。朝方はいいのだが、夕方になってくると気になってくる。だが、もう、あと少しだろう。そんな気がする。

 こんなことしか書くことのない生活をしているわけではない。それなりに、忙しく、充実しているのだが、とりあえず、HPに書けることは「魚の小骨」には気をつけろということである。

2004年5月4日(火)
 GWは、5日間、ほとんど自室で過ごした(まだ、終わってないが明日も特に予定がないからそうなるだろう)。ちょっと前まで、ヒマを持て余すことは罪悪と思っていた。ヒマこいてる奴に、ろくな奴はいないと思っていた。今でも、信念としてはそう思っている。しかし、今年は、ヒマなことはなんと贅沢なことかと思った。スケジュール表に追われない生活は、サイコーだと思った。

 しかし、ちょっと待てよ、自室にはいたが、ヒマだったわけじゃない。たまっていたビデオを見まくった。ストックしておいたデジカメの写真を整理して、ホームページにアップした。まだ、すべてが整理できたわけじゃない。アップしなければならないページは山のようにたまっている。それを思えば、ヒマだったわけじゃない。

 ちょっと、こういう生活もいいなと思い始めた。もう、61歳だものな。

 「魚の小骨」は、遠ざかってはいるが、実は、まだ、取れない。まったく、なんなんだ!!!


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