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日記D(030927〜040312)

 2004年3月12日(金)
 今日、日記を書こうと思い立ったのは、「魚の小骨」のことではない。それは、やっと、なんとか治りそうな気がしてきた。まだ、完治というわけではないが、しだいに喉の奥に遠ざかりつつある。しかし、この一年、ほんとに苦しめられた。たかが「魚の小骨」で、私の起きている意識の八割方が占められていた。「魚の小骨」をなめてはいけない。これからは、慎重に魚を食べよう。

 さて、今日、日記を書いておこうと思ったのは、いよいよ、花粉症が発症してしまった日だからである。もう、30年くらいの付き合いで、この頃、しだいに軽くなってきているので、職場の同僚には、すでに大きな花粉症マスクを付けて発症している人がいるのに、まだ大丈夫だと思っていたら、今朝から、鼻水が止まらなくなった。さっそく、エージーノーズを吹きまくりである。

 息子も花粉症で、妻が「花粉症にはヨーグルトがいいんだって」とどこからか聞いてきて、この冬から宅配のヨーグルトを毎日食べている。体質改善なんて、何年もかかるのだろうから、すぐに効くわけもないが、今日まで、発症しなかったのは、なんとなくヨーグルトが効いているかなと思っていたのだが、やっぱりダメだ。でも、ヨーグルトは、なんだか体に良さそうだから、続けてみよう。

 2004年2月22日(日)
 ×××駅近くの耳鼻咽喉科の先生は、勢いにだまされただけで、私の喉に食らいついた「魚の小骨」には、なんの効果もなかった。薬もいっこうに効いた感じはしなかった。しかし、もう一度、あの先生に見てもらう気にはならなかった。だいたい、いくらファイバースコープがすごいものでも、もうちょっと丁寧に見ろよ。小骨が喉に刺さっているんだから、肉の中に潜り込んでいるって考えるのが普通だろう。ファイバースコープで表面だけ見せて、「ほら、どこにも刺さってないでしょ!」って言われたって、現に、喉の違和感は取れないんだから、なにも解決されてないってことじゃないか。

 しかし、もう一度行って、やっぱり取れませんって言ったら、今度は、ファイバースコープにメスでも付けて、ゴイゴイ切り裂かれてしまうかもしれない。うー、いやだいやだ、あとは、根性だ!根性で、小骨なんか、溶かすしかない。なめんなよ、俺をだれだと思ってるんだ、気合いと根性じゃい、うりゃぁー・・・・・。と、頑張ったが、1月は、ほんと、やばかった。相変わらず、不定愁訴的鈍痛が続いて、気が弱くなると、小骨が神経に刺さっていて、突然昏倒するんじゃないかとか、悪い方悪い方へと想像力をたくましくしてしまった。

 2月に入って、忙しい日が続いて、ちょっと、喉のことを忘れている時間が増えてきた。でも、カラオケを歌ったとき、高い声を出すところで、魚の小骨が邪魔をして、突然音程が狂ったりした。

 ここ数日、小骨の存在がわかるようになってきた。刺さっている意識の範囲が狭くなってきた。いよいよ根性が小骨を追いつめ始めたという感じである。あと少しで、退治できるのではないだろうか。人間様が、魚の小骨ごときで倒れるはずがない。なめんなよ、\(^▽^)/ガンバルゾォー

 
2003年12月12日(金)
 前回の日記で、「魚の小骨事件」を書いたら、あちこちから、お見舞いの言葉をいただいた。皆さんから「見栄張ってないで、医者へ行った方がいいよ」と言われたが、その内、治るさと、放っておいた。朝や午前中は、治ったように思えるのだが、午後になってくると、喉から発信して、首、背中、背骨、胸などが痛くなってくる。いわゆる不定愁訴ってやつだ。医者に行かねばならないと思うほどの痛さではないが、さりとて何でもないという状態ではない。それどころか、憂鬱状態になって、気力が薄れることおびただしい。

 明日は、医者に行こうと思い始めて、仕事の区切りがつかなくて、とか、いろんないいわけをして、2ヶ月が過ぎてしまった。状態は、いっこうによくならない。さすがに、このまま、正月を迎えるわけにはいかないと、決心して、今日、仕事があったのをキャンセルして、年休を取って、所沢の防衛医大病院へ行った。この辺では、もっとも定評のある大病院である。自分はかかったことはないが、少し前に妻が肺炎をこじらせたときにここにかかって、付き添いで来たことがある。対応の良さを妻も褒めていた。喉を切り裂かれるかもしれないのに、ヘタクソな医者にはかかりたくない。

 ホームページで、初診の受付時間を調べて、早めに病院に着いた。受付に、初診の申込書を出したところ、耳鼻咽喉科は、月・火・木だけで、水・金は休診だという。そういうことはホームページにきっちりと書いておけ!どんな思いでここまで来たと思っているんだ!って、ちょっと前の私だったら、受付の事務的対応の女性を怒鳴りつけているところだが、さすがに還暦になってはそうもいかない。「あの、予約だけでもしてくれないですか?」と下手に食い下がったが、「初診は、予約できません」と冷たく言われて引き下がらざるを得ない。

 途方に暮れて、帰ろうとしたが、せっかく年休取って来たのに、なんとかならんかと、もう一度、診療案内を見ると、「口腔外科」というのが目に付いた。「総合案内」という年配の女性がいる案内所へ行って、「口腔外科ってのは、どういうところですか?」と聞くと、「顎がはずれたとか、口の中に腫れ物ができたとかですね」と言う。「魚の骨が喉に刺さったってのはどうですかね?」「それは耳鼻咽喉科ですね」「今日、休みなんでしょ?困っちゃって」「だったら、ここへ行ってみたらどうです」と1枚の名詞をくれた。×××駅の近くにある耳鼻咽喉科医院である。「ここの先生は、3年前まで、防衛医大の耳鼻科の先生だったんですが、やめて開業したんですよ。ここで診てもらったらいいですよ」と言う。それもそうか、3年前まで、防衛医大の先生だったんなら、防衛医大で診てもらうのと変わりないだろうと、お礼を言って×××に向かった。

 ×××駅の東口からすぐの耳鼻咽喉科医院は、町の医院がどこもそうであるように、幼児を連れた母親でにぎわっていた。初診の受付を済ませて、壁の額を見ると、院長の挨拶状がかかっている。経歴も書いてある。防衛医大を出て、同大の助手になり、講師になって、防衛医大の耳鼻咽喉科に勤務して、3年前に開業したとある。現在防衛医大の非常勤講師と書いてあるから、防衛医大へ行ったも同じということだ。受付の女性の応対もとてもよい。ときどき、患者を呼びに出てくる看護師の感じもなかなかいい。小さな音で流している背景音楽もクラシックである。置いてある雑誌も、幼児向け図書も、品のいいものだけである。なかなかいい。もう、この先生に任せようと決心した。

 眠くなるほど、1時間以上も待って、やっと診察室へ呼ばれた。40歳くらいの男の先生である。4月の初め頃、夕食に出た魚の骨が喉に刺さって、未だに痛いと説明した。「飲み込むときに、痛いですか?」「いや、大丈夫です」「食欲はあるんですか?」「いや、仕事はちゃんとやってます」「変だな、魚の骨がそんなに長く刺さっているはずないですけどね。どこが痛いんですか?」「首とか、肩とか、背骨とか・・・・」「まあ、診てみましょう。口開けて。エーーって声出して。ハイッ、息吸って・・・・」と、いきなり、恐れていた、金属のヘラのようなもので、舌を押さえつけて、喉の奥を見始めた。「ハイッ、息吸って、エーーって声出して、息吸って・・・」と言いながら、ヘラで舌をゴイゴイ押さえつけるから、たまらず、「ウォェー・・・」「エゥォー・・・・」「アゥォーー」と吐きそうな声を出して、涙がボロボロ出てきて、だから、イヤだって言ったのに〜とか思っても後の祭り、しばらくオエオエ言わしてから、「別に、口から見えるところには、なにも刺さっていませんが、その奥は、ファイバースコープで診てみましょう。じゃあ、麻酔かけます。ハイッ、口開けて」と、この先生、決断が早い。さすが、防衛医大、グズとニンニクの大嫌いな私のフィーリングに合う。口の中に、苦い液を注ぎ込み、鼻から針金のようなものを通して、口を開けたままの、きわめて悲惨な状態で、「麻酔が効いて来るまで、10分ほど待って下さい」と部屋の片隅に移された。

 舌がビリビリしていて、喉の感覚がなくなってくるのがわかる。痰が絡んでくるが、うまく切れない。その内に、むせ込んで苦しくなる。これから、ファイバースコープを突っ込まれるんだ。また、あの先生、無茶するんだろうなとビビッている。その間に、3人ほど、幼児の患者など診て、また、私を診察椅子に呼んだ。「これから、喉の奥を診ますからね。一緒に診ましょう。これがファイバースコープです」と黒い細い針金状の先に付いたカメラを見せて、私の顔をモニターに映して見せる。「じゃあ、よく見てて下さい」と言いながら、スコープを鼻の穴から入れていく。鼻毛がびっしりから写って、モニターに肉色の穴の中をどんどん進んでいく様子が写る。昔、「ミクロの決死圏」という人体の中でウイルスと戦う面白い映画があった。あんな感じでモニターに私の喉の中が写る。「ハイッ、これがノドチンコ、何も刺さってないでしょ。イーーって声出して、ハイ、息吸って、ほら、これが声帯、イーーーって言ってみて、ほら、動くでしょ。ハイ、息吸って、何もないねえ。ほら、この辺があなたが痛いって言ってるところよ。何もないでしょ。はい、息吸って、なにもないね」。とにかく、この先生、早い。さすが防衛医大。

 「特に、どうということはありませんね。一応、喉の調子を整える漢方薬と炎症を鎮める薬を出しておきますから、飲んでみて下さい。また、様子を見て、来てください」と終わった。こちらは、じゃあ、この不定愁訴は何が原因なんでしょう?とか聞きたいことはあったのだが、麻酔が効いていて、声が出ない。あまりの素早い診察に圧倒されて、しゃがれた声で、「ありがとうございました」と言うのがやっとであった。

 なんだか、納得できないが、まあ、仕方ない。薬を飲んで、様子を見ることにしよう。この半年くらいの私の憂鬱な不定愁訴が、私の神経的な思い込みであったというのなら、それはそれで、老人性不定愁訴症候群かなんかで、別の観点から問題にしなければならないが、・・・・カウンセリングでも受けるか?この私が?!

 2003年9月27日(土)
 今年の正月にスキーで怪我した股関節は、3ヶ月くらいかかったが、ほぼ治った。しかし、足の怪我が治りつつあった春から、9月も終わろうかというこの半年、私は人生で最大の絶不調に苦しんだ。過去形になっているのは、そろそろ治りそうだという期待のもとに書いているのだが、人に言えぬ苦しみがこの半年間、私を攻め続けた。

 春休みの終わり頃、我が家の夕食の食卓に焼いた魚の切り身が出た。アジとかサバとかサンマではなかった。妻に聞けばわかるのだが、ずっと黙っていたので、魚の名前は確かめてない。とにかく出されたものは黙ってありがたくいただくのが我が家の習慣なので、なんの魚かわからなくても黙って食べていた。その魚の箸でほぐしたひとかたまりを口に入れたときに、ジャリッと小骨が複数で歯に当たった。今から、思えばそれが失敗だったのだが、戦後食糧難世代で、口に入れたものは、なんでもありがたくバリバリと噛み砕いて飲み込むのが男らしい生き方としてきた私が、小骨があるくらいで吐き出すわけにはいかない。ジャリジャリと数回咬んで、ゴックンと飲み込んだ。チクッとしたが、そんなものすぐに取れるだろうと多寡をくくっていた。

 魚の骨が喉に刺さったらしい。そんなことは60年になろうという人生で何度もあったことだから、大したことではない。ちょっと気になるから、パンの固まりを飲み込んでみるとか、ご飯をなるべく咬まないで飲み込んでみるとか、いろいろとやっていたが、少しも取れない。ウホンとかエヘンとか、しょっちゅう咳払いをして、取ろうとするのだがまったく取れない。そのうちに、骨の刺さったあたりが震源地になって、首筋から肩、そして背中にかけて、だんだん痛みが出て、身体が重くなってくる。午後から夕方になって、疲れが出てくる頃になると、頭まで痛くなってくる。

 5月の後半から6月頃が一番ひどかった。その頃は、仕事の上でも、茨城県にある本部への出張が多くなった。ふだんは、車で2時間弱で行けるのだが、首痛がひどくて、高速道路を2時間走るのが恐くて、電車で4時間かけて茨城へ行った。本部で会議に出ていても、首が痛くて、集中できないこともしばしばであった。

 7月に入ると、医者へ行こうとなんども思った。しかし、たかが魚の骨だよ、そんなもので、医者へ行けるかという思いと、「これは大変です。手術します」と言われて、喉を切り裂かれる怖さとで、なかなか決心がつかなかった。妻に言えば、「そんなつまらないものに悩んでないで、すぐに病院行って取ってもらいなさい」と言われるだけだから、言い出せない。学校で、何人かの人に「首筋から背中にかけて痛くてたまらないんだよ」と漏らしたが、「高血圧じゃないですか」とか「太りすぎですよ」と心配してくれるが、「実は、魚の骨が喉に刺さってね」とは、カッコ悪くて言えないし、そんな理由じゃあ、同情もされないだろう。この苦しみは、本人にしかわからない。「むち打ち症」の人の苦しみも、周りの人にはわからないというが、あれと同じだろう。

 この半年は、いろいろとしなければならない仕事があったが、首が痛くて、手を付けられなかった。「体調が悪い」ことを理由にして、ずいぶん仕事を遅らせたが、原因は「魚の小骨」とは言えずに、「本部の仕事でストレスが多くて・・・」とか言っていたが、本部の仕事にビビルほどヤワじゃないが、「魚の小骨」よりは説得力があるだろうと多用した。

 「8月になっても治らなかったら病院へ行こう」と思っていたが、8月になっても治らずに、「9月になっっても治らなかったら・・・・」に修正した。9月になって、少し、よくなってきたように思う。痛みの範囲が小さくなってきた。

 アキレスは、たった一枚の葉っぱで、不死身の身体を手に入れられなかった。象も耳から入った蟻の一匹に倒されることがあるという。「魚の小骨」が私のこの半年を奪った。しばらく、魚は食べたくないと思いながら、なにも知らない妻が食卓に魚を並べると、丁寧に小骨をより分けながら、黙って食べている私である。



 私事で恐縮だがといっても、この日記は私事なんだからかまわないわけだが、この5月に、私、目出度く還暦でした。誕生日に、母親と兄弟の家族と私の家族とが「横浜ロイヤルパークホテル」に泊まって、最上階のレストランで還暦祝いパーティをやってくれました。

 60歳の還暦といったら、なってみる前は、ものすごく年寄りのことと思っていましたが、なってしまったら、まったくどうということないじゃないかということに戸惑っています。なんだか、もう十分にやってきたような気もするし、まだまだ、やり残したことがたくさんあるような気がするし、もういいかげんで休みたいなとも思うし、もう一旗あげるぞという気もあるし、とにかく還暦といったって、一つの通過点に過ぎないようです。

 ただ、振り返ってみると、いろいろなことを思います。若くて、ぎらぎらしていて、自分勝手だった時代、ずいぶんいろんな人を傷つけて、いろんな人に迷惑をかけたように思います。少し、周りがみれるようになって、人と協力し合って学校の仕事に励んだ時代、あれほど頑張れた自分がいるのが不思議です。そして、今の自分、いろんな人に助けられ、いろんな人に支えられて生きていることを感じます。そう思うと、長く生きてきたなあと思うし、若い頃の未熟な自分が恥ずかしく思えるのは、成長したということですかね。

 残りの人生、少しでも、周りの人や社会に恩返しができればいいと思います。






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