2001年1月21日(日)
 今年の冬は、半端じゃない寒さだ。先週の火曜の朝は、マイカーに付いている室外温度計が−8度Cを示していた。真夏には、+48度Cくらいまで示すから、そのままは信じられない温度にしても、最近の冬で、−8まで示した記憶はないから、ほんとに今年の冬は冷え込んでいるのだろう。
 
 30年以上の付き合いになる戸狩温泉スキー場の民宿「リバティみなみ」の宣伝のページをアップした。別に、宣伝料をもらったわけではない。ここのオーナーのススムさんは、実にイイ人なのだ。イイ人というのは、目先が利いて、商売上手で、立ち回りがうまくてということから遠いという意味で、ともかくイイ人なのだ。スキーを現役で滑っていた頃は、シーズンに3〜4回は泊まっていたが、この頃は、暮れのクラブの合宿に行くだけだが、それで昨年の暮れに泊まったとき、ちょっと気の毒なくらい、客が少なかった。
 
 この日記にも前述したが、正月の志賀高原でもリフト待ちはなかったから、一般的にどこのスキー場も客は減っているのだと思うが、スキー民宿の書き入れ時の暮れに、この寂しさでは、経営が大変だろうと心配になって、マイ・ホームページの次のコンテンツは、「リバティみなみ」の宣伝だと決めたのだった。イイ人のススムさんは、客集めに商才を発揮するタイプではなく、ススムさんの人の良さを慕って集まってくる客を、いつもニコニコして待っているだけのオーナーだから、ここは一つ、30年来の付き合いの私が少しでも助けてあげたいと思っただけである。でも、パソコンもさわったことのないススムさんは、きっとこのページを見ることもないのだろうが。
 
 マイ・ホームページの読者の皆さん、機会があったらぜひ「リバティみなみ」を利用して下さい。どこが「お勧め」かと聞かれると、ちょっと困るのだが、「飾り気のない素朴さ」とでも答えておきましょう。一泊二食付きで6500円くらいですから、グルメを求められても困るし、小さな民宿だから、カラオケスナックやゲームセンターがあるわけでもないし、天然温泉とは言っても、豪華大浴場というわけではないし、今は、プリンス・ホテルでも、1万円弱で泊まれるパックツアーなんかあるから、小さな民宿では、付加価値競争ではかなり厳しい時代であることは確かです。
 
 でも、余計な、過剰なサービスはいらない、静かに、落ち着いて、素朴な、田舎臭い、雪国の情緒を味わいたいという家族連れの方、あるいは若いスキーヤー・スノーボーダーで、サービスはいらないから安く泊めてほしい、食費は削ってでもリフト代・マテリアル代に金を使いたいという質実剛健タイプの方、ぜひお勧めです。
 
 夏の合宿などにも、共同の体育館やテニスコートを使用しての利用が可能です。但し、夏の戸狩はただの田舎の人里なので、夏の合宿の付加価値である高原の爽やかさはありません。が、ほど近い千曲川の河原でバーベキューもできますし、夏は畑になっているスキー場を汗流して登るのもいいですし、料金の安い合宿用の宿舎をお探しの場合は、ぜひお勧めです。
 
 アクセスも、上信越道ができて、実に簡単になりました。昔、高速道路がないころは、車で、6〜7時間かかっていたのですが、その内に関越道ができて石打ICから入っていくルートが使われてかなり短縮され、今は、上信越道の豊田飯山ICから平坦な広い道路を10kmほど走って戸狩に着くので、雪が深くなければ3時間ほどで着いてしまいます。関越道ルートの時は、雪の深い峠を越えたり、千曲川沿いのトラックとすれ違えない細い道を走ったりして、雪の多いときは難儀をしたものですが、今の上信越道ルートは、実に簡単で快適です。普通はスキー場というものは山の上にあって、車で行くには雪の山道を登っていくという、雪道に慣れていない埼玉のドライバーには辛い試練があるのですが、戸狩へのアクセスは、まったくその心配がありません。チェーンやスタッドレスタイヤなど、雪道対策は万全でなければなりませんが、それさえあれば、平坦で広い道だけで着いてしまうので、もっともアクセスの容易なスキー場と言えるでしょう。「スキーに行きたいが、雪道がちょっと不安」という方には、ぜひお勧めです。
 
 マイ・ホームページのコンテンツも、旅行ネタは、とりあえず尽きてしまったので、趣味の一つと言えるスキーに入った。さらに、<予告>として今後取り上げていくコンテンツをリストアップしてみた。ただ、これらのコンテンツは、まったくプライベートなものではなく、仕事の上での出来事でもあるので、職種を伏せたままでは続けられそうもない。もっとも、「韓国・板門店 見学記」も、仕事で板門店に行ったとはいえ、どう読んでもビジネスマンの仕事とは思えないだろうし、ましてや政治家や役人と思う人もいないだろう。次回あたりで、職種を明かすのも仕方ないか。
 
 それからホームページを作っていて、だんだんわかってきたのだが、インターネット上でフリー素材がいくらでも手に入ることを知った。他人の作ったものを、いかに「ご自由にお持ち帰り下さい」と書かれていても、勝手にいただいて、自分のホームページに使用するのは気が引けるが、まだ初心者ということで、有り難く使わせていただいた。今回、かなり小道具がレベルアップしたのはそのせいである。使わせていただいた素材屋さん、「ご自由にどうぞ!」のものばかりなので、一々は断ってはいないが、どうも有り難う。但し、その内には、全部自分で作った素材でマイ・ホームページを飾れるようになりたいものである。
 
2001年1月8日(月)
 例年のことだが、暮れには、28日〜31日に馴染みの戸狩温泉スキー場で、正月は、4日〜6日に志賀高原スキー場で、スキーをしている。キャリアの差で、まだ、ツマやムスメやムスコには負けていないが、一日滑ると、もう身体中がガタガタである。特に最近は、腰が痛くなる。ちょっと前までは、三日くらい平気で滑っていて楽しかったものだが、最近は、二日目には、朝ゲレンデに出るのが億劫である。
 
 歳のせいもあるだろうが、それだけでもない。なぜ、一日でこんなに疲れてしまうのか。一つには、最近のスキーリフトの高速化がある。若い頃のリフトに比べると、倍以上のスピードで、一気にゲレンデ上部に連れて行く。スピードが上がったから、リフトの長さも長くなった。二つ目には、昔のリフトはほとんど一人乗りだったが、今は、クワッド(4人乗り)やトリプル(3人乗り)が当たり前で、リフト待ちが少ない。三つ目に、これは今年は顕著だったが、不景気もあるし、遊びが多様化したせいもあるし、スキーヤーがめっきり減った。だから、4日〜6日という正月の書き入れ時に、志賀高原のサンバレーや丸池やジャイアントや東館山など、もっとも賑わうべきゲレンデで、ほとんどリフト待ちがない。また、これは専門的なことだが、カービングスキーという新しいマテリアルとそれに伴うスキー技術が開発され、ゲレンデのコース整備も進歩して、一般スキーヤーのスキー技術も随分と高速化された。
 
 リフト待ちがなくて、リフトが速くて、長い距離をスピードを出して滑れるとなれば、スキーヤーにとっては、天国みたいなものだが、これで調子に乗ってガンガン滑っていると、一日が終わった頃には、身体ガタガタの状態になっている。条件の変化で、昔のスキーに比べれば、今のスキーは、一日の滑走距離が倍くらいに長くなっている。だから、歳を考えて、ゆっくり滑ればいいのだが、最近、ムスメとムスコが速くなってきて、すぐ後ろを滑ってくるので、ボヤボヤしていると抜かれてしまいそうになる。抜かれまいと、ついムキになるので、尚更疲れてしまう。ところが、今年は、逆斜面を開脚登行で登っているときに、てっぺんに着く寸前にゼーゼーと息切れして、モタモタしていたら、後ろにいたムスコに軽快に抜かれてしまった。お父さんが、家族の先頭を切って滑るのも、あと何年でもないかもしれない。
 
2001年1月1日(月)
 21世紀が始まった。映画「2001年宇宙の旅」は、コンピュータが人間を支配する話だったが、とりあえず、そこまでは至らず、むしろ、いよいよもって、コンピュータとの付き合いを深めていかなければならない時代である。年賀状で、ホームページを開設したことを友人・知人に知らせた。早速、あちこちからメールで「HP、見ましたよ」と好意的な感想を送ってくれる人もいて、気分をよくしている。同時に、「私も、HP開いているんですよ」と知らせてくれる知人もいて、早速、開いて読んでみると、ビックリするほど、マニアックだったり、心を打たれるまでに真剣な内容だったりして、感動している。ホームページという、世界に開かれたメディアを、個人が獲得した時代は、どのように展開していくのか、楽しみである。
 
 お正月といえば、「おせち料理」でしょう。重箱に、蒲鉾・伊達巻き・栗きんとん・黒豆・昆布巻き・田作り・ナマス・八頭・ニンジン・ゴボウ・タケノコ・クワイ(このクワイというほろ苦い根菜が私は好きなのだが、地元のSATYでは売ってなかった)とか並べて、お酒飲むものでしょう?昔は、母が数日前から、台所で「おせち料理」を作っているのを見て、お正月だーッて興奮したものだった。今は、ツマも勤め人だから、「おせち料理」を自分で作りはしないが、それと年末は家族でスキーに出かけていて、三十一日の午後に帰って来るので、だから、大晦日の夕方に、ツマと二人で地元のSATYに買い出しに行って、私は、伊達巻きだとか、栗きんとんだとか、そういう伝統的な「おせち料理」を買おうとするのだが、ツマは「そんなもの、お父さんしか食べないから、少しでいいわよ」とすげない。「だって、伊達巻きだとか、栗きんとんとか、子どもの頃、お正月はそういうのが食べられるのが嬉しかったんだぜ!」。「今の子どもは、一年中、お正月のようなものだから、お父さんみたいに、お正月だからって、気合いが入るわけじゃないのよ」。ツマの言ったとおり、伊達巻きや栗きんとんなど、伝統的な「おせち料理」には、ムスメもムスコも見向きもしなかった。仕方ないので、私一人で、ムキになって、ボソボソと「おせち料理」を食べていた。たしかに、今になってみれば、そんなにウマイものでもないが。でも、彼奴ら、大人になったら、お正月をどのように思い出すのだろうか。

 
2000年12月24日(日)
 「板門店見学記」をアップした。これは今年の3月に行った。8月のイギリスもそうだったが、その頃は、ホームページを作ることなど考えていなかった。これまで、写真は、人物を撮ることが目的だった。風景など撮っても、どうせ素人写真じゃうまく撮れないし、写真は人が写ってなければ面白くないと考えていた。だから、ホームページに写真を入れようとすると、よく撮れているのは、大抵人が写っていて、プライバシーの点で、私のホームページには使えない。イギリスも板門店も、写真選びに苦労した。これからの旅行では、写真の撮り方が変わってくるだろう。ホームページで使うことが前提の写真撮影になっていくだろう。これからの旅行は、ホームページにどう表現するかを考えながらのものになるだろう。それもまた、楽しみである。
 
 今年も、それなりに充実した一年を過ごすことができた。仕事は、前半には、大きな課題も生まれたが、たくさんの人に助けられて、乗り越えることができた。後半は、まあまあ順調に仕事を処理した。が、この仕事は、忙しすぎる。少し、ゆっくりと立ち止まって、ものを考えてみたい。本をじっくりと読んでみたい。数年前に退職された先輩のKさんとメール交換しているが、実に退職後の生活を楽しんでいる。私は、打ち込めるような趣味もなく、仕事をリタイアしたら、どういう生活をすればいいのか不安だったのだが、Kさんのメールを読んでいると、リタイアも悪くないかと思えるようになってきた。
 
 家族も、健康で、事故もなく、仲良く過ごせたことを喜びたい。私は、まったく典型的な日本人で、深く信仰心など持ったことはないが、この頃、なにか大きな力に感謝する気持ちが沸いてならない。あまりにイイ人になってしまうと、自分らしくなくてイヤなのだが、さすがに歳を取ってきたらしい。
 
 昨日から今日にかけて、一日中、年賀状作りをしている。数が多いので、パソコンとプリンターの大稼働である。新聞の世論調査によると、世の人は、パソコンとプリンターで作られた年賀状は、温かみがなくてイヤだ、もらっても嬉しくないと言うそうだが、とんでもないことだ。パソコンとプリンターで作る年賀状も、温かい人の心がなければできるものではない。裏面の図柄や文章を考えて、あれこれ作ってみて、何度もプリントアウトして、調整して、それから印刷する。次に住所録を整理する。転居した人、喪中の人などを調整する。それから、宛名を印刷して、また、住所録と照らし合わせて確認する。この人には、今年世話になったなあとか、この人最近どうしているのかなあとか考えながら、1枚1枚確認して、終わるのは大抵深夜で、寝間着の上にオーバーコートを着て、自転車で近くのポストまで出しに行く。パソコンもプリンターも道具だから、それを使いこなすためには、人の大変な技術と労力と温かい心がいるのだ。パソコンで作られた年賀状には温かみがないと言う人は、パソコンとプリンターが勝手に年賀状を作ってくれるとでも思っているのだろうか? 自慢じゃないが私は字が下手で、手書きで、年賀状を出さなければならないとしたら、今の5分の1も出さないだろう。もっと言えば、もしも、ワープロやパソコンがなかったら、私は、今の10分の1も仕事ができなかったろう。こんな便利な道具のありがたみをわからない人こそ、温かみがなくてイヤである。
 
 マイ・ホームページの更新に、一ヶ月以上かかってしまった。新しいコンテンツを探すのは大変だ。次は、二、三ヶ月かかるかもしれないが、頑張ります。
 
2000年11月12日(日)
 「初めてのイギリス旅行」が完結した。これまで、「台湾旅行記」も、「カナダ・ヨーロッパの旅」も書き始めて、序章くらいで終わっていたので、職場の人達からも「最後まで書いて下さいよ」と、励ましとも冷やかしとも取れる声をかけられていた。ホームページという新しいメディアを獲得して、やっと一つ完結させることができたことが嬉しい。
 
 今回の更新では、テクの進歩が、ファイルを軽くする方向に進んでいる。まず、表紙に楕円の紫陽花の写真を入れた分だけ、前号のMy Profileのページにあったハイパーリンクの紫陽花のデカイ写真1枚をカットした。イギリス旅行の表紙でも、羊と国会議事堂のハイパーリンクの写真をカットして、写真加工で輝度を落とした羊の写真を背景に持ってきた。ハイパーリンクで1枚のデカイ写真を背景付きで開くのは、ファイル的に贅沢すぎるとわかった。文章と同じ面に小さな写真を入れていくのがファイルを必要以上に重くしない方法だろう。暇ができたら、既刊分も作り替えていく。それと、ファイルを圧縮することもご助言いただいたのだが、まだ、全体の容量には余裕があるので、将来の課題としておく。
 
 イギリス旅行が完結したので、次のコンテンツを考えねばならない。仕事関係は抜きにして、プライベートな出来事だけでホームページを更新していくのは、大変なことである。プライベートなことで、ホームページに披露できることなど、それほどあるもんじゃない。海外旅行ネタも、行きたいところはいっぱいあるのだが、毎年行けるわけじゃない。すぐにネタ切れで廃刊に追い込まれるかもしれない。なんとか、月に一度は、更新していきたいものである。
 
 検索エンジンのYAHOO!、GOO、インフォシークで、「紫陽花倶楽部」と入力するとマイ・ホームページがリスト・アップされるようになった。一人前になったようで、嬉しい。
 
2000年10月29日(日)
 マイ・ホームページへのご意見は、依然として「字が多い」と「ファイルが重たい」である。文章載せるのが目的なんだから、字が多いと文句を言われてもどうしようもないのだが、他人が読んでくれなければ、ホームページを作る意味もないのだから、開き直るわけにもいかない。日々、新ネタを勉強して、今回は、バナー素材に文字を入れて「紫陽花倶楽部」のオリジナルロゴを作った。作成ソフトで加工しているときはグラデーションの
綺麗な色が出るのだが、ブラウザに開くと、色が汚くなってしまう。もう一研究が必要だが、こういう新ネタも画像だから、工夫すればするほどファイルは重くなっていく。写真の枠を小さくするとか、写真と文章を同じ面に展開するとか、技術的に進歩すれば、もう少し見やすく軽くしていけるだろう。文面への画像の取り込みもわかったので、次回は変わっているだろう。
 
 職場の同僚の中には、「ヒマで、いいっすネ!」とイヤミを言うのもいるのだが、決して仕事をサボって、ホームページを作っているわけではない。仕事は、ちゃんとしている。その上で、これからの情報社会における経営戦略のためにも、また、近い内に来るワタシ自身の長いリタイア・ライフのためにも、インターネットでの情報発信は、欠かすことのできない戦術であるとの見通しの元に、夜中にホームページの作成に取り組んでいるのである。決して、仕事を疎かにはしてませんよ。
 
 ジャイアンツが優勝した。日本シリーズの最後の試合など、圧勝だった。ワタシは、ONの時代から熱心なジャイアンツ・ファンだが、こんなに強いと後ろめたくなる。「金に物言わせて、他チームのスター選手引っ張ってくりゃ、勝てない方がおかしいよな」というアンチ・ジャイアンツの批判に抗弁できない。「人生は、知恵と勇気と根性だ!」と言い続けてきたワタシとしては、金ぶりまいて、ワガママやるのは、アタマ悪い奴のやることで、まことに恥ずかしいことだ。ここ数年、ジャイアンツが勝てなかったので、安心してジャイアンツ・ファンを名乗っていられたが、こんなに圧勝してしまうと、金ぶりまいてワガママやるアタマ悪い奴の仲間と思われそうで、ジャイアンツ・ファンを名乗れなくなってしまう。ナベツネさんよ、FAのスター選手をなんでもかんでもジャイアンツに引っ張ってくるのやめようよ。プロ野球がつまらなくなるよ。最近、トルシエ・ジャパンが面白いから、サッカー・ファンに変わろうかな。
 
2000年10月22日(日)
 マイ・ホームページを立ち上げて、2週間。アドレスを通知した友人・知人達からいろいろなご感想をいただいた。総じて、「面白かったですよ」とか、「続きが楽しみです」とか、お世辞にせよ言っていただいて、気分をよくしている。まだまだほんの内輪の人にしか通知していないので、これからもっと広範囲にアドレスを伝えていこう。
 
 中には、「字が多くて、読むのが面倒だ」とおっしゃる方もいる。それは仕方がない。ワタシは絵も描けないし、音楽もセンスがないし、字もヘタだが、唯一の得意分野と言えるのは、多少文章が書けるというところだから、文章を使わずには、なにも表現できるものはない。マイ・ホームページの目的は、ワタシの拙い文章を読んでもらいたいためだから、「字を少なくして、視覚的な表現をもっと工夫した方がよい」という玄人っぽいご助言は、ありがたいが、ノー・サンキューである。文章読むのが苦手な人は、紫陽花倶楽部のお客様には想定していない。
 
 「字が大きくて、画面いっぱいに詰まっていると、それだけでうんざりする」と言う方には、前段の通りだが、「字が大きい」ということには一考の余地がある。実は、自分が老眼なので、小さい字を見ると、アタマが痛くなってくるので、ついつい字が大きくなってしまうのだが、こんな大きな字で書いていると、すぐに容量オーバーしてしまうだろう。このOCN PAGE ONサービスで、ワタシに与えられた容量は、10MBである。現在、3MBくらいのところなので、まだ余裕があるが、いっぱいになってきたら、古いものは字や写真を小さくするなど、軽くする工夫をしなければならないだろう。
 
 それだけでなく、「あんなにデカイ写真がいっぱいあっちゃ、ダウンロードが大変ですよ」という苦情は、無視するわけにもいかない。日本の電話料は高すぎる。自分のホームページを見てもらうために、相手にプロバイダ料・電話料を払わせているという自覚を持って、軽いファイルを作らなくてはならない。でも、クドイ性格なもので、どうしても字も写真もデカクなっちゃうんだよな。これからの勉強の課題である。なにしろ、ホームページの仕組みがわかって、まだ1ヶ月なんだから・・・・。
 
 昨夜、NHK・TVの「クローズアップ現代」で、「自分史を書く人が増えている」ということをやっていた。退職した人が、自分の現役時代を振り返って、反省や言えなかったことを書き記して、自費出版して、後輩や友人・知人に配るというやつだ。ワタシの周りでも、たまにある。ワタシも、リタイアしたら、それをやろうと思っていた。一大自分史を書いて、親戚・友人・知人に配ろうと思っていた。目立ちたがり屋の最後の存在証明である。ただ、あれって、やる人は誰でもわかっているのだと思うが、所詮は自己満足なわけで、もらった方も、むげに捨てるわけにいかないし、置き場所に困ったりして・・・。
 
 そこいくと、ホームページはいいね。自費出版ほどお金はかからないし、「ホームページに自分史書いてますので読んで下さい」って年賀状か何かで伝えて、知らされた方も、「そうですか。早速読ませてもらいます」とかお愛想言っておいて、閑なときにちょっと開いて、さわりだけ読んで、「感動しました」とかメール送っておけば、置き場所にも困らないし・・・・。よしっ!ワタシも、リタイアしたら、ホームページに一大自分史を書くぞ!!
 
 このアクセス・カウンターというのが麻薬のようなもので、ついつい手が出て開いてしまうのよ。カウントの半分くらいは、自分で稼いでいるんじゃないか。いかん、いかん・・・・。
 
2000年10月6日(木)
 前からホームページを作りたいと思っていた。本を買ってきて読んだり、ホームページ作成ソフトを少しいじったりしていたが、よくわからなかった。仕事柄、職場には達人がたくさんいるので、思い切って、少し前に、職場の同僚に教えを乞うた。それでHTMLタグなど、ホームページ作成の仕組みを知った。
 
 仕事柄、ワープロの使用歴は長い。文字を表示するディスプレーが一行しかないワープロ専用機の時代から使っている。それでも、日本語タイプライターからすれば画期的な機械だった。その後、ワープロの技術進歩は凄まじく、モデルチェンジに追いまくられた口である。忘れられないのは、当時40万円もするワープロ専用機をなけなしの金をはたいて購入して、簡単な表計算やグラフを書いたりして、同僚に見せびらかしていたが、半年もしない内に、もっと安くて、もっと凄いモデルが登場して、40万円もする超高級機の威力は一年も持たなかったことがある。仕事に使うと言っても、文書を作るだけだから、52歳まではワープロ専用機で十分だった。
 
 53歳で、職種が変わって、デスクワークが多くなったので、パソコンを使って見ようかという気になった。周りは、次第にパソコンばかりになり、ワープロ専用機を頑固に使っているのは、ほんとに頑固者しかいなかったせいもある。元来、新しもの好きの流行流されタイプだから、ちょっと、もうワープロ専用機ではカッコ悪いなというところもあった。
 
 だから、まだパソコン歴4年の新参者である。職場には、達人がたくさんいるから、コンピュータの難しい話になると付いていけない。ところが、時代は、情報化時代で、コンピュータはわかりませんでは、仕事にならない。立場上、わかったふりでもしないと、やっていけない。それで、インターネットやメールもやりだして、いっぱしのわかったふりもできるようになってきた。でも、ほんとは、よくわかってない。
 
 でも、生来の目立ちたがりだから、ホームページはいいなと思っていた。今、立場上、あまり目立つこともできないので、フラストレーションがたまっているということもある。ホームページを立ち上げて、好きなことを書いて、知ってる人に読んでもらいたいと思った。インターネットだったら、知らない人も、読んでくれるかもしれないじゃないか。それは素晴らしいと思った。
 
 9月の終わり頃から、作り始めて、ちょっと、はまってきた。やばい・・・・。